山岡元隣山岡 元隣(やまおか げんりん、寛永8年(1631年) - 寛文12年閏6月27日(1672年8月19日))は、江戸時代前期の俳人・仮名草子作者。本名は山岡新三郎、字は徳甫。別号、而慍斎・洛陽山人・抱甕斎。医名、玄水。 来歴父祖は伊勢山田出身の商家で、京都下京六条通に住んだが、多病のため、漢学・医術を修学して生涯を町医者として送った。明暦元年(1655年)北村季吟に師事して俳諧・和学に通じ、季吟編『俳諧合』の跋文や『水鏡抄』序文を執筆、『他我身の上』を脱稿する。寛文2年(1662年)序『身楽千句』、同年自跋『俳諧小式』が成立。寛文6年(1666年)に俳諧宗匠として独立し、北村季吟や西山宗因の歌仙を集めた『歌仙ぞろへ』を編む[1]。 作品俳諧関連
仮名草子
注釈書類
脚注
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