山口愛次郎(やまぐち あいじろう、1894年(明治27年)7月14日 - 1976年(昭和51年)9月24日)は、カトリック教会の司教。カトリック長崎大司教区の司教・大司教を務めた。洗礼名は「パウロ」。
1945年(昭和20年)8月9日、長崎市への原子爆弾投下により、爆心地から至近距離(約550m)に在った浦上天主堂は全壊・全焼し破壊され廃墟となった。
戦後、被爆した天主堂遺構の保存が問題となったとき、カトリック長崎司教を務めていた山口愛次郎はその地に遺構を残すのではなく天主堂再建を決断する。1955年から1956年、アメリカ・カナダを訪問し、建設資金獲得等に尽力する。1959年10月に新しい浦上天主堂は完成した[2]。戦後14年が経過していたが、信徒にとって「祈り」の場所、浦上天主堂は「復活」した。
来歴
その他
関連事項
脚注
注釈
- ^ 父、山口愛吉は江戸時代の終わりから明治時代の初めにおきたキリシタン弾圧、いわゆる「浦上四番崩れ」によって500名あまりの信徒とともに金沢へ流配された。明治政府は欧米各国から抗議を受け、1874年にキリシタン禁制を終わらせる。これにより、やっと1874年に長崎に戻った。
- ^ 赴任直後、教会で出火。司祭館など教会施設の一部など焼失。火事は周辺民家にも延焼。周辺住民から非難を受け、対応に苦慮する。2年後、火事は放火だったことがわかる。
出典
参考資料
外部リンク