山口大麻呂
山口 大麻呂(やまぐち の おおまろ)は、飛鳥時代の官人。姓は忌寸(伊美伎)。冠位は進大弐。山口大口の孫とする系図がある。 経歴一族の東漢氏は天武天皇11年(682年)に直から連に[1]、天武天皇14年(685年)には八色の姓の制定により秦氏など11の連姓氏族と共に忌寸に改姓している[2]ことから、大麻呂も同じく改姓したと想定される。 文武天皇4年(700年)大麻呂は刑部親王以下19人と共に大宝律令の撰定者となり、その功績によって白猪骨・土師甥らと共に禄を与えられた。この時は位階は田辺首名と同じ進大弐(大初位下に相当)である[3]。 大麻呂の名前が登場するのは、この箇所のみであり、その後のことも分かってはいない。 系譜脚注参考文献 |