山口一臣山口 一臣(やまぐち かずおみ、1961年1月1日 - )は日本のジャーナリスト、実業家。株式会社テックベンチャー総研代表取締役CEO、メディア企業経営者。元週刊朝日編集長。東京都出身。 来歴・人物東京都文京区生まれ、板橋区育ち。早稲田大学高等学院、早稲田大学第一文学部哲学科人文専攻卒業。ゴルフ専門出版社のゴルフダイジェスト社でビジュアル系ゴルフ誌「チョイス」、週刊ゴルフダイジェスト編集部で約6年勤務した後、1989年朝日新聞社へ中途入社。 朝日ジャーナル編集部で田中康夫や本多勝一を担当。入社3年目に同誌の休刊により週刊朝日編集部へ異動する。記者時代は政治、経済、マネーからスポーツ、芸能まで幅広く担当する。 2001年、9.11テロ取材でニューヨークとパキスタンに特派される。約3か月滞在。帰国後、副編集長(デスク)になるも、翌年、部下の書いた記事の不手際で管理責任を問われ、朝日新聞本社広報部へ異動となる。新聞社のクレーム対応最前線で、企業の危機管理について徹底的に学ばされる。その後、出版に復帰し週刊百科編集部の統括編集次長として数々のパートワークスの創刊を指揮する。2005年4月に創刊した子ども向け科学まんが週刊誌「かがくる」が大ヒットし、台湾、中国、韓国への売り込みにも成功、現地版が発行される。 2005年6月、再び週刊朝日副編集長(筆頭)に。同年11月、第41第編集長に就任する(中途採用で同誌の編集長になったのはこれが初めてとなる)。退任までの5年半の間に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を2回受賞。赤字だった同誌を2年で黒字化。以後、3年連続の増収増益を達成する。2011年3月まで約5年半務め、歴代週刊朝日編集長としては扇谷正造氏らにつづく戦後3番目の長期在任となった。この間、テレビ朝日、文化放送など、テレビ、ラジオにレギュラー出演。 2008年、朝日新聞社の出版部門分社化プロジェクトチームのメンバーとして新会社(朝日新聞出版)立ち上げに参画。設立後、同社へ出向。 2011年4月から朝日新聞出版マーケティング(販売)部長として営業部門を統括。編集部と販売部の協力強化で2年目に予算達成し、会社全体として設立以来初の予算達成にも貢献する。2013年、出版への出向を終え、朝日新聞本社へ戻る。 東京本社では、朝日ホール総支配人としてホール事業を統括。その後、フォーラム事務局員として国際シンポジウム「朝日地球会議」の立ち上げに携わる。 2016年11月末、選択定年により朝日新聞社を退社。同年12月株式会社POWER NEWSを起業し、代表取締役に。 2019年、それまでに築いた人脈と経験を活かし、技術研究やスタートアップベンチャーを支援する株式会社テックベンチャー総研をスタートさせ、同社代表取締役CEOに。 週刊朝日編集長時代の2010年にアシスタントを務めていた女性(当時東京大学在学中でアルバイトとしてアシスタントをしていた)は、のちに電通に入社したが、過労が原因で2015年12月に自殺しており(電通#新入女性社員の自殺(2015年))、Twitterで彼女の死を悼むツイートをしている[1]。 朝日新聞デジタルで「今日からランナー」連載中、世界6大マラソンを完走したマラソンランナーでもある。自己ベストは3時間41分19秒(ネットタイム)。 公職・その他
受賞歴
著書
メディアへの出演歴等テレビ番組
ラジオ・配信番組
脚注外部リンク
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