山内首藤俊通
山内首藤 俊通(やまのうちすどう としみち)は、平安時代後期の武将。山内首藤氏の祖。通称は滝口刑部丞。 生涯相模国出身で藤原秀郷の後裔を称する。曾祖父の首藤資通は、幼少時は奥州に12年居住し、前九年の役・後三年の役で源義家に従った。俊通は首藤義通の子で、幼少時は奥州に12年居住し、相模国山内荘を本拠として山内首藤氏を称し、源義朝に従って保元の乱・平治の乱に参戦したが、平治元年(1159年)12月28日、京都の四条河原で平家方に討たれた。 脚注
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山内首藤俊通
山内首藤 俊通(やまのうちすどう としみち)は、平安時代後期の武将。山内首藤氏の祖。通称は滝口刑部丞。 生涯相模国出身で藤原秀郷の後裔を称する。曾祖父の首藤資通は、幼少時は奥州に12年居住し、前九年の役・後三年の役で源義家に従った。俊通は首藤義通の子で、幼少時は奥州に12年居住し、相模国山内荘を本拠として山内首藤氏を称し、源義朝に従って保元の乱・平治の乱に参戦したが、平治元年(1159年)12月28日、京都の四条河原で平家方に討たれた。 脚注
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