山井基清
山井 基清(やまのい もときよ、1885年8月29日 - 1970年12月8日)は、日本の雅楽師、ヴァイオリニスト、ヴィオリスト、作曲家、音楽教師。 経歴山井基万(もとかず)の三男として生まれる[2]。1898年より宮内省式部職雅楽部[3]楽生となり、式部職雇音楽教師ヴィルヘルム・ドゥブラヴチッチ[4](1901年に来日[5][6])、安藤幸、アウグスト・ユンケルにヴァイオリンを師事する[7]。楽生として左舞、笛、箏、ヴァイオリン、ヴィオラを担当した。1908年に東京音楽学校器楽科を卒業し、同年に式部職楽部楽手、1909年に楽師となる[1][2]。1922年に長男の山井清雄(すみお)が生まれる[8]。1922年に芝忠重とともにドイツに留学して1924年に帰国[2][9]。1934年から1936年まで式部職楽部楽長を務めた。1937年に新設された相愛女子専門学校音楽科[10]で教授となり、1939年から1941年まで同校音楽科長を務めた[1]。ヴァイオリンの教え子に福田宗吉[11][12]、波多野鑅次郎[13][14]、遠山芳蔵[15][16]、多忠紀[17]、内田元[18]、須賀田礒太郎[19]がいる。墓所は雑司ヶ谷霊園。 作曲
著作
脚注
参考文献
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