尾道城

尾道城
尾道城(2008年2月16日撮影)
地図
施設情報
正式名称 全国城の博物館尾道城
専門分野 日本の城
延床面積 約440平方メートル
開館 1964年
閉館 1992年
所在地 722-0031
日本の旗 日本
広島県尾道市三軒家町
位置 北緯34度24分26.5秒 東経133度11分37秒 / 北緯34.407361度 東経133.19361度 / 34.407361; 133.19361座標: 北緯34度24分26.5秒 東経133度11分37秒 / 北緯34.407361度 東経133.19361度 / 34.407361; 133.19361
最寄駅 JR西日本山陽本線尾道駅
プロジェクト:GLAM
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尾道駅より見る尾道城
尾道城(2019年)
尾道城(1968年頃)

尾道城(おのみちじょう)は、1964年昭和39年)に広島県尾道市にある千光寺公園博物館として建てられた城郭風の建築物[1]。付近には戦国時代末期に築城途中で放棄された杉原氏の千光寺山城があった[2]が関連性はなく、歴史上存在しなかった城である。

2020年度に解体工事が行われており、跡地には展望施設の「千光寺公園視点場」が新たに整備された[1][3]

概要

近世天守を模した建築物であり、歴史的な価値は無いが、外観は城であるためにこの名になった。

市内には戦国期の城跡はあるが、隣りの福山市福山城天守(戦災で焼失、1966年に復元)の影響を受け、1964年(昭和39年)に尾道商工会が観光事業の一環として外観の一部を弘前城天守に模した施設「全国城の博物館尾道城」として建設した。建築は鉄筋コンクリートの三層三階、望楼型の体裁を取っている。尾道駅の北側の丘陵上に立地し、目立つこともあり尾道市のシンボル的な存在になったが、歴史的な背景が全くないためにむしろ景観を汚すものであるという意見もあり、建築当初から厳しい論争にさらされた。

建物の解体

1992年平成4年)に閉鎖された後は廃墟化していた。2018年(平成30年)2月16日尾道市は所有者から尾道城の土地と建物の寄付を受けた上で解体して眺めを生かした観光施設を整備するなどの方策を検討した[4]。同年6月に所有者から土地と建物の寄付を受けて尾道市の所有となり[5]2019年に解体工事に着手[5]2020年本格着工、2021年1月末までに工事を終える計画が立てられた[5]

解体工事が行われ、跡地には展望施設の「千光寺公園視点場」が新たに整備された[1][3]。千光寺公園視点場は2022年2月25日午前11時から一般開放される予定だったが[3]、2022年3月11日にリニューアルオープンし一般開放された[6]。愛称はMiTeMi[7]

脚注

  1. ^ a b c 尾道市総合計画 第2次実施計画【令和2年度~令和3年度】” (PDF). 尾道市 (2020年10月). 2022年2月15日閲覧。
  2. ^ 千畳敷・八畳岩 (せんじょうじき・はちじょういわ)/千光寺のご案内”. 千光寺. 2006年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月15日閲覧。
  3. ^ a b c 千光寺山視点場2月25日にオープン 尾道市、元博物館を改修”. 中国新聞デジタル. 2022年12月13日閲覧。
  4. ^ “「尾道城」の解体検討 市、観光施設整備へ”. 中国新聞アルファ. (2018年2月17日). オリジナルの2018年2月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180218090230/https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=410806&comment_sub_id=0&category_id=256 2020年5月15日閲覧。 
  5. ^ a b c 「尾道城」の解体 年内にも着手”. 中国新聞デジタル (2019年11月22日). 2019年12月18日閲覧。
  6. ^ 尾道水道を一望「視点場」オープン 元博物館の尾道城 広島│RCCニュース”. 中国放送 (2022年3月11日). 2022年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月11日閲覧。
  7. ^ 千光寺公園視点場の愛称が「MiTeMi(みてみ)」に決まりました:カメラさんぽ(394)”. 尾道市 (2022年11月10日). 2023年11月1日閲覧。