尼子 忠蔵(あまこ ちゅうぞう、1861年4月16日(文久元年3月7日)[1] - 没年不明)は、日本の政治家(広島市会議員[2])、商人(醤油商)[3][4]、醤油醸造家[5]、実業家[6]。第六十六銀行、尾道貯蓄銀行各取締役[7][8][9][10]。(旧)広島銀行[9]、中国紡績各監査役[11]。広島桟橋監査役[9]、同取締役[8][12]。族籍は広島県平民[1][7][12][13]。
人物
広島県平民・尼子英次郎の長男[7][12]。家は代々醤油醸造を業とし、「茶屋」と称する[6]。漢学を学び、後に普通教育を受けた[5]。商業に従事した[5]。1881年、家督を相続した[7][13]。銀行、会社の重役であった[12]。第六十六銀行取締役兼広島支店長を務めた[1][10][13]。
広島市胡町・恵美須神社の境内は、もと32坪2合9勺だったが、1909年6月、忠蔵が付近の地積42坪6合2勺を寄付したので74坪9合1勺となった[14]。嗜好は煙草、酒[6]。住所は広島市胡町[6][12]。
家族・親族
- 尼子家
- 親戚
脚注
参考文献
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治32年』商業興信所、1893-1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治33年』商業興信所、1893-1911年。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第21回』商業興信所、1913年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第23回』商業興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 広島市編『広島市史 社寺誌』広島市、1922年-1925年。
- 広島市編『広島市史 第4巻』広島市、1922年-1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第28版』交詢社、1924年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。