小野政直
小野 政直[注釈 2](おの まさなお)は、戦国時代の武将。遠江国引佐郡井伊谷の国人・井伊家の家老。 人物父は井伊直平に仕えた小野兵庫助重正で、自身も井伊氏の重臣として仕え、直平の孫・井伊直盛[注釈 3]、あるいはその叔父・井伊直満[注釈 4]の家老であったという。 天文10年(1541年)、井伊家は駿河国主の今川家に従っていたが、甲斐国の武田家が遠江国への圧力を強めたため[注釈 3][注釈 5]、井伊家では井伊直満・直義兄弟が武田軍に備える準備をしていた。井伊直盛には嗣子がいなかったため、井伊直満の嫡男・亀之丞(のちの直親)が直盛の養子になることになっていた。しかし政直はこのことについて不満を抱き、密かに駿府の今川義元へ井伊直満・直義兄弟が謀反を計画していると讒言した。天文13年(1544年)、直満と直義は駿府へ召喚され、そこで両人は殺された。駿府より井伊谷へ戻った政直は義元の命を奉じ、残された亀之丞も殺害しようとしたが、直親の家老・今村正実らによって亀之丞は信濃国へ逃れた。 天文23年(1554年)没。跡は子の道好が継いだ。政直の死によって、直盛は信濃国に逃れていた直親を呼び戻すこととし、弘治元年(1555年)に今川義元の許しを得て直親を改めて嗣子として迎え入れた。 登場する作品脚注注釈
出典参考文献
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