小野成綱
小野 成綱(おの なりつな)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の武将。横山党。 経歴治承・寿永の乱で戦功を挙げ、西国に所領を得る[1][3]。阿波麻殖保の地頭職の時[2]、文治4年(1188年)3月、保司平康頼から年貢の抑留を訴えられた[1]。同5年、奥州合戦に加わったのち[3]、鎌倉で随兵や流鏑馬の的立役などを務めた[1]。建久5年(1194年)源頼朝の上洛に従ったのち[3]、その帰路で尾張国守護として萱津宿で雑事を務めた[1]。『吾妻鏡』の建暦元年(1211年)6月21日の記述「故野三刑部丞成綱」からそれ以前に死去していることが分かる[1]。 脚注参考文献
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