小河勝
小河 勝(おごう まさる、1944年9月18日 - ) は、大阪府大阪市出身の教育者。元公立中学校教諭。元大阪府教育委員会委員。元和歌山大学教育学部非常勤講師。元大阪樟蔭女子大学学芸学部非常勤講師。株式会社小河教育研究所代表取締役社長。ミレニアムエデュケーションセンターJAPAN(MEC-JAPAN)代表理事。学校法人ポプラ学園理事。ポプラ介護福祉学校校長。 経歴1963年に大阪府立生野高等学校を卒業(15期生)。1970年に信州大学文理学部自然科学科を卒業(文理18回生)。2005年10月5日、中学生の自主学習を手助けする「小河学習館」を開講し、館長に就任[1]。2010年3月、奈良市に未来を切り開く学習塾「奈良ゼミナール」を石川翼と共に開校し、小河は塾長に、石川は教室長に就任[2]。2021年4月14日、特定非営利活動法人ミレニアム・エデュケーション・センター・JAPANを設立し、代表理事に就任。同年4月20日より、教育方法・人材育成方法に関する研究、研修などの実施を目的とした事業活動を開始[3]。2024年、学校法人ポプラ学園理事、ポプラ介護福祉学校校長に就任。 公立中学校教諭として大阪市立本庄中学校の臨時講師を務めたことがきっかけで教育に関心を持ち、1973年に大阪市立加美中学校の教諭(理科)。その後、大阪市立港中学校を経て、1998年から大阪市立市岡中学校に勤務し、2005年3月に退職。32年間の教師生活を勤め上げた。 大阪府教育委員会委員として橋下徹・大阪府知事の意向で、2008年10月1日から大阪府教育委員会委員に就任[4]。委員長職務代理者に指定される(2期)[5][6]。 2010年11月3日、大阪府知事・教育委員は韓国教育視察に出発。小河勝は第1団に所属し、橋下徹、隂山英男らとソウル科学高校、ソウル教育研究情報院、大元外国語高校、中谷小学校、大韓民国教育科学技術部、ソウル特別市教育庁、城東工業高校、漢江中学校、善隣インターネット高校、ソウル日本人学校を訪問した[7][8][9]。 2011年12月7日、大阪維新の会が大阪府議会に提出した教育基本条例案を巡って、条例案に反対してきた府教育委員は、府議会で維新側との議論に応じると表明したが、松井一郎・大阪府知事の「対案を出すのか、さもなくば辞職を」という強硬な姿勢に委員らは「現在の枠組み内で教育改革はできる」と反発した。小河勝委員は日本経済新聞社の取材に対し「大阪の教育をよくしたいとの思いを共有してきたが、なぜ条例という形にこだわるのか理解できない」と指摘。「指導力不足の教員をなくすなど個別の課題は現状の制度の中で改善できる」と強調した[10]。 2016年、全国各地で学力向上に成果を上げている隂山英男と田川市学力向上アドバイザーになる[11]。 2017年10月13日、文部科学省東館3階講堂において林芳正文部科学大臣出席のもと地方教育行政功労者表彰式が執り行われた。小河は受章者を代表した挨拶で「子どもたちが自ら知識を深めて、個性や能力を伸ばし、人生を切り開く力を身につけるには、学校と家庭、地域がしっかりと連携していく必要があり、その橋渡し役となる教育委員会の使命は、大変大きいものがあります。本日の表彰に恥じることのないよう、それぞれの立場で各地の教育と教育行政の発展のため、一層尽力していく所存です。」と述べた[12]。 小河式プリント小河式プリントは、岸本裕史と隂山英男が普及させた百ます計算などを取り入れた書き込み式の教材。中学生向けの国語基礎篇・数学基礎篇がある。中学国語基礎篇は、国語の成績をあげる「描写」「自己表現」「論理的思考」の3の能力を、1日30分、2か月で習得。3・3システム、転写法を採用。中学数学基礎篇は、算数チェックテストで、小学校のつまづきを手当てしながら、中学数学の土台である一次方程式の文章題まで1か月でかけあがる。未来を切り開く学力シリーズ小河式プリントはベストセラーになり、基礎学力の養成に役立つとして、全国の中学校や学習塾で利用された。隂山英男と共に全国各地を回り、小・中学生の基礎学力向上に取り組んだ。 受賞歴
著書
未来を切り開く学力シリーズ 小河式プリント
未来を切り開く学力シリーズ 小河式3・3モジュール
雑誌
書評講演
対談シンポジウム
独立行政法人国際協力機構(Japan International Cooperation Agency)
関連項目脚注
外部リンク
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