小池 繁雄(こいけ しげお、1922年8月15日 - 没年不詳)は、長野県出身のプロ野球選手(内野手)。
来歴
長野商業では、1939年の夏の甲子園に出場し、ベスト4まで進むが準決勝で下関商業に敗れた。
1941年に東京巨人軍に入団するが、同年はわずか4試合の出場に留まった。1942年に主将の水原茂が9月初旬に応召を受け離脱したため、正三塁手がいない状況となる。1ヶ月ほど強肩を買われて青田昇が三塁手を務めるが暴投を乱発して外野手に戻ったことから、小池が後釜の三塁手を務める。この年は50試合に出場するが、5月半ばから10月半ばの5ヶ月に亘って43打席連続無安打に抑えられるなど、シーズンでわずか7安打しか打てず.077の低打率に終わった。1943年は完全に三塁手のレギュラーを掴み77試合に出場する。この年も.125と低打率に苦しむが、60四死球を選び出塁率は.327でIsoDは.202に達した。同年限りで巨人を退団。
戦後の1946年に巨人に復帰するが出場機会はなく、同年限りで現役引退した。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1941
|
巨人
|
4 |
6 |
3 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
3 |
0 |
-- |
0 |
-- |
3 |
-- |
0 |
1 |
-- |
.667 |
.833 |
.667 |
1.500
|
1942
|
50 |
105 |
91 |
2 |
7 |
0 |
0 |
0 |
7 |
4 |
0 |
0 |
1 |
-- |
13 |
-- |
0 |
24 |
-- |
.077 |
.192 |
.077 |
.269
|
1943
|
77 |
263 |
200 |
16 |
25 |
2 |
1 |
0 |
29 |
4 |
4 |
3 |
3 |
-- |
56 |
-- |
4 |
43 |
-- |
.125 |
.327 |
.145 |
.472
|
通算:3年
|
131 |
374 |
294 |
20 |
34 |
2 |
1 |
0 |
38 |
11 |
4 |
3 |
4 |
-- |
72 |
-- |
4 |
68 |
-- |
.116 |
.297 |
.129 |
.427
|
記録
- 最多連続打席無安打:43、1942年5月14日、対大和軍戦 - 1942年10月12日、対朝日軍戦 ※一リーグ時代記録[2]
背番号
- 13 (1941 - 1943)
- 9 (1946)
脚注
- ^ a b 『プロ野球人名事典 2003』212ページ
- ^ 『プロ野球記録大鑑』294頁
参考文献
関連項目
外部リンク