小松範任
小松 範任(こまつ のりひで[1][2]、1936年〈昭和11年〉4月8日[1][2] - 2018年〈平成30年〉2月22日[3])は、日本のテレビドラマ監督・脚本家。 来歴・人物幼少期から榎本健一(エノケン)のファンで、本人曰く、その幼い頃から劇場に行ってエノケンの映画を観て育って来たとのこと[1]。地元・高松では無料だったこともあって東宝の映画をよく観ていたという[1]。早稲田大学第一文学部仏文科[5]卒業を控えた就職試験の時に、映画会社では東宝は縁故のコネが無いと受験できなかったということで、これしか募集が無かった東映を受験、しかし当時東映作品と言えばチャンバラの剣劇以外の作品を知らなかったので、口頭試問の時に困ったという[1]。東映の他にも同時に受験していたTBSにも合格していたが、大学から「東映に行ってもらわないと学生課に就職の募集が来ない」と促され、当人も別に嫌いじゃないということで東映を選択して、大学卒業後1959年に入社[1][2]。最初に配属されたのは東京撮影所[2]で、助監督などとして村山新治、小林恒夫、深作欣二らに付く[6]。しかしその後、当時激化していた労働争議の渦中で、「企画渉外室」「目黒PR分室」などに配転される[6]。 その後撮影現場に復帰、監督として初めて手掛けた作品は1968年、菊正宗酒造のCM[6]。他に大正製薬『リポビタンD』、カルピス、ハウス食品のCMを手掛ける[2]。同年、東レのPR映画『私はシルック』で電通賞を受賞[6]。後年、『Gメン'75』の合間のCMでスポンサーだった大正製薬、ハウス食品で小松の監督によるCMが頻繁に流れたため「小松ばっかりじゃないか!」と言われたこともあったという[2]。 1969年、東京撮影所内のテレビセクションである「東京制作所」に異動[6]、主にテレビドラマ(テレビ映画)の制作に従事。テレビ映画初監督作品は同年の『日本列島爆破大作戦』(フジテレビ)である[6]が、同年のテレビドラマ『フラワーアクション009ノ1』(フジテレビ)が事実上の監督デビュー作であると本人が話している[2]。『Gメン'75』では、特に望月源治(演:蟹江敬三)の登場する通称『黒谷町シリーズ』を多く担当する[2]。 テレビドラマ作品で監督を務める一方で東映労組委員長など労組活動にも従事、「東制労共闘」に参加[6]。1996年定年退職時の所属は「本社テレビ部第二営業部」[6]。この退職時と前後して荒井美三雄の企画でロシア、中東へ出向きロケーション撮影を行った教育映画『革命のロシア』を制作、文部省選定作品となり、教育映画優秀作品賞を受賞[6]。その後『アフリカ縦断2万キロ』『日曜特集・新世界紀行 古代オリエント』などドキュメンタリー作品も手掛ける[5]。 担当作品※特記の有るもの以外は、制作は全て東映。 テレビドラマ
その他脚注
外部リンク |