小松清穆
小松 清穆(こまつ きよあつ)は、江戸時代後期の薩摩藩士。家格一所持。通称に帯刀。 出自出自は島津久明を祖とする一所持格の島津準次男家。寛政11年(1799年)10月に、一所持小松家の当主で親族の小松清宗の養子となる。清宗は、血統上は祖父の従兄弟であるが、実家においては養玄祖父[注釈 1]であり、小松家においては養父という、複雑な関係であった。なお、小松家にはいる前は準次男家島津氏の規定により三崎氏を称する。 略歴島津久儔の次男として誕生。母は町田監物久甫の長女。幼名は松之助。 小松清宗の養嗣子となり、文化3年(1806年)に養父の死により、家督を相続。藩では3番目の席次の職である大目付まで昇進し、文政13年(1830年)から天保3年(1832年)まで伊集院郷地頭を兼務。天保11年(1840年)に隠居。薫山と号した。聡明であった次男・清猷が跡を継いだ。しかし清猷は安政2年(1855年)に急死しており、その養嗣子に家老として著名な小松帯刀清廉が出ている。 清廉の家督相続後に死去。 系譜登場作品
脚注注釈参考文献
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