小川泰三郎
小川 泰三郎(おがわ たいさぶろう、1896年(明治29年)9月21日[1] - 1968年(昭和43年)12月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴1896年(明治29年)に兵庫県で生まれた[1]。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1939年(昭和14年)8月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1941年(昭和16年)10月15日に第21師団参謀長(南方軍)に就任して太平洋戦争に出征[1][2]。その後印度支那駐屯軍隷下に編入され[1]、ハノイに駐屯した[1]。 1944年(昭和19年)8月に陸軍少将に進級し[2]、1945年(昭和20年)1月4日に基隆要塞を基幹として編制された独立混成第76旅団(第10方面軍)[3][4]の旅団長に1月12日に就任[1]。基隆で米軍来襲に備える中で終戦を迎えた[1]。 1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。 脚注参考文献
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