小嶋宝素 (小説)

小嶋宝素』(こじま ほうそ)は、森鷗外短編小説で、正式な表記は『小嶋寶素』。

概要

江戸幕府の医官である小島尚質(号は宝素)の伝記で、『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』に1917年10月14日から10月28日まで連載された。

渋江抽斎』『伊澤蘭軒』に続く鷗外の医家史伝であり[1]、小嶋宝素および子の抱沖(春沂)・瞻淇(春澳)の古書校讎の功績を記す動機で書かれた[2]。鷗外は先立つ『渋江抽斎』において「陸實が新聞『日本』に澀江抽齋の略傳を載せた時、誤つて寶素を小島成齋とし、抱沖を成齋の子としたが、今に迨るまで誰もこれを匡さずにいる」と指摘している[3]

主な新版

内容

1-5 -享和3 -1803 前書き。先祖。宝素生から家継まで。
6 享和3-文化13 1803-16 献薬登城。山本氏と婚嫁。
7 文化14-文政7 1817-24 山本氏没。一色氏と再婚。妹与左没。
8 文政12-天保6 1829-35 抱沖生。日光准后宮に付従。徳川家斉診察。
9 天保7-弘化2 1836-45 将軍代替。瞻淇生。徳川家定奥医師。
10 弘化3-安政1 1846-54 医学館世話役。宝素没。
11 安政2-安政4 1855-57 一色氏没。抱沖塙氏に寄寓。
12 安政4-明治31 1857-98 抱沖没。抱沖の妻猶没。
13 安政5-明治33 1858-1900 瞻淇没。瞻淇の妻定没。

脚注

  1. ^ 目でみる漢方史料館(96) 伊沢蘭軒門下の『素問』研究-渋江抽斎筆『素問次注筆録』-解説 真柳誠”. 東亜医学協会 (1996年5月). 2022年5月5日閲覧。
  2. ^ その十三。
  3. ^ 森鷗外『渋江抽斎』その五十四。