小山田正直小山田 正直(おやまだ まさなお、1892年〈明治25年〉6月15日[1][2][3][4] - 没年不明[4])は、大正から昭和時代の政治家。公吏。静岡県沼津市長。 経歴福島県出身[3]。小山田直三の四男として生まれ、のち小山田重四郎の養子となり、1922年(大正11年)分家し一家を創立する[1][3]。1917年(大正6年)東京帝国大学法科大学商業科を卒業し、東京火災保険会社に入り、1918年(大正7年)大阪基督教青年会主事となり、1919年(大正8年)東京市に奉職し電気局電車課勤務、同局労働課長、同経理課長を経て、1931年(昭和6年)沼津市助役となった[1][3]。その後、1933年(昭和8年)10月に同市長に就任した[3]。1935年(昭和10年)7月まで務めた[3]。 その後、仙台市産業部長、同事業部長、同総務部長、同市収入役、仙台放送副社長、同監査役、東北学院大学監事を歴任した[2]。 脚注
参考文献
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