小寺休夢
小寺 休夢(こでら きゅうむ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。実名は高友(たかとも)。茶人として著名であり、休夢斎(きゅうむさい)の号で知られる。 生涯大永5年(1525年)、黒田重隆の子として播磨国龍野にて誕生。兄に黒田職隆、弟に井手友氏、松井重孝がいる。 一時、恒屋安芸守と称して播磨砥堀山城に入ったといわれており[4]、永禄年間頃までに出家剃髪して増位山地蔵院に住み、休夢斎善慶と号した。のち雲照院に移った。元亀4年(1573年)、別所氏によって増位山が攻められると、兄・職隆らの支援を受け、また志方城主・櫛橋氏や野口城主・長井氏らの仲介を得て和睦した。 その後も職隆の子で甥の孝高(官兵衛)に従い、三木合戦などで活躍した。やがて孝高が仕えた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に御伽衆として仕え、晩年には茶会にも招かれたという。 逸話
脚注
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