尉諾尉 諾(うつ だく、生没年不詳)は、北魏の軍人・官僚。本貫は代郡。 経歴尉古真や尉太真の弟にあたる。若くして道武帝に近侍し、忠謹で知られた。後燕に対する征戦に参加して、中山城の包囲の先頭に立ち、片眼を傷つけた。平東将軍の号を受け、安楽子の爵位を受けた。402年(天興5年)、柴壁の戦いに参加して後秦の姚平を討ち、凱旋すると国部大人に任じられた。明元帝の初年、幽州刺史となり、東統将軍の号を加えられ、侯に爵位を進めた。その後、418年(泰常3年)、長孫道生が北燕を攻撃したとき、尉諾は驍騎将軍の延普とともに遼西に進軍した。寧東将軍に転じ、爵位は武陵公に進んだ。尉諾の幽州における統治は善政で知られた。太武帝のとき、薊県の張広達ら200人あまりが平城の宮殿を訪れて請願したため、尉諾は再び安東将軍・幽州刺史に任じられ、遼西公に改封された。延和年間に死去した。 子女
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