富士急行5700形電車
富士急行5700形電車(ふじきゅうこう5700がたでんしゃ)とは、1982年から1997年まで富士急行に在籍していた電車である。 概要1954年から1959年にかけて製造された小田急電鉄2200形・2220形・2300形・2320形を譲受したもので、1982年から1984年にかけて、3次にわたり入線した。1次車は元2200形・2300形、2次車は元2320形、3次車は元2220形である。5700という形式は導入年である昭和57年(1982年)に由来する。 入線に際しての改造は、小田急時代のOM-ATSと列車無線の撤去、スノープロウの取り付け、客用ドアへの冬期対策などである。 この車両の導入により、富士急行の吊り掛け駆動車は事業用のモハ3600形を残して、すべて置き換えられた。 1984年に、1次車の台車と主電動機が交換され(台車:FS203→FS316、駆動方式:直角カルダン→WNドライブ)、性能面での統一が図られた。 しかし非冷房の上老朽化が目立つことから、1000系(元京王5000系)の導入と引き換えに、1993年から1997年にかけて全車廃車になった。最終廃車は5711編成(元2320形)と5717編成(元2220形)であった。このうち5711編成については1996年12月8日にさよなら運転を実施している[1]。 なお、末期には屋根上のベンチレーターが全て撤去されていた。 運転台直後の座席には暖房器が入っていなかったため、仕切りにその旨表記がされていた。 車両一覧車両番号は小田急時代とは奇数・偶数が入れ替わっている。なお、末尾0・3・4・9は当初から欠番である(末尾4・9が忌み番で、かつ同方向で奇数・偶数を揃えるため)。
表の出典
5707編成のみ2200形由来の正面窓2枚・非貫通、他は正面窓3枚で貫通扉付きであった。 保存車両同時期に営業運転を終了した3100形とともに、車両の引き取り先を新聞で公募した。モハ5707・モハ5708が小田急時代の旧塗装に復元され、笛吹市内で静態保存されている。その他、甲斐市内にモハ5716が保存されていたが、2012年に撤去された。 廃車発生品流用営団2000形電車の銚子電気鉄道デハ1000形への改造に際し、本形式の台車とパンタグラフの廃車発生品が流用された。 脚注関連項目 |