宮崎 光平(みやざき こうへい、1981年2月6日 - )は、熊本県山鹿市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
来歴
平小城保育園、平小城小、山鹿鶴城中、鹿本高普通科 体育コース(2期生)を経て1999年にサンフレッチェ広島に加入。高校3年の選手権県予選では、FW巻誠一郎を擁する大津高校に準決勝で1-0で勝利した。決勝で国府高校に敗れるも準優勝した。国体の熊本県代表としても活躍。
プロ同期入団は、高橋泰、池田学徳、吉田幸生。広島では出場機会が与えられず、2002年にアビスパ福岡へ移籍。2003年にはチームでただ1人全試合出場を果たすなど、左右こなせるサイドアタッカーとしてチームに貢献したが、2007年シーズン終了後に戦力外通告受け、当時GMであった小林伸二(後の山形監督)とともに2008年シーズンからはモンテディオ山形でプレーしており、開幕からベンチ入りしている。チームがJ1昇格を果たした2009年シーズンは序盤こそ出場機会に恵まれなかったが、シーズン後半からはスタメンとして活躍した。
2012年シーズンより徳島ヴォルティスに移籍。2014年11月28日、契約満了となり徳島を退団[1]。2015年1月9日、現役引退と、徳島ヴォルティス株式会社の営業推進部に配属されることが発表された[2]。
備考
- 広島でのJ1デビュー戦は後に所属することになる2001年の福岡戦。ドリブル突破からPKを奪うなどの活躍を見せたが、チームは1-2で敗れた。
- 2008年シーズンは、第17節から第19節まで連続ゴールを決め、しかもそれが3点目とゲームを決定付けるゴールだった為(しかも第20節の仙台戦も彼のシュートのから3点目が決まった為)、宮崎=3点目というイメージが山形のサポーター内では出来つつあり、実際2009年3月7日のチームJ1デビュー戦のジュビロ磐田戦でも、3点目は宮崎のパスを長谷川悠が決めJ1初ゴールをお膳立てした。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
1999 |
広島 |
30 |
J1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2000 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2001 |
3 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0
|
2002 |
福岡 |
17 |
J2 |
27 |
2 |
- |
3 |
0 |
30 |
2
|
2003 |
7 |
44 |
8 |
- |
3 |
3 |
47 |
11
|
2004 |
35 |
0 |
- |
2 |
1 |
37 |
1
|
2005 |
35 |
5 |
- |
0 |
0 |
35 |
5
|
2006 |
J1 |
7 |
1 |
4 |
1 |
1 |
0 |
12 |
2
|
2007 |
J2 |
29 |
4 |
- |
2 |
0 |
31 |
4
|
2008 |
山形 |
6 |
38 |
6 |
- |
2 |
1 |
40 |
7
|
2009 |
J1 |
25 |
1 |
5 |
0 |
1 |
0 |
31 |
1
|
2010 |
6 |
2 |
1 |
0 |
3 |
1 |
10 |
3
|
2011 |
13 |
2 |
0 |
0 |
1 |
0 |
14 |
2
|
2012 |
徳島 |
18 |
J2 |
24 |
2 |
- |
1 |
0 |
25 |
2
|
2013 |
26 |
3 |
- |
1 |
0 |
27 |
3
|
2014 |
J1 |
11 |
0 |
5 |
0 |
1 |
0 |
17 |
0
|
通算 |
日本 |
J1
|
65 |
6 |
17 |
1 |
7 |
1 |
89 |
8
|
日本 |
J2
|
258 |
30 |
- |
14 |
5 |
272 |
35
|
総通算
|
323 |
36 |
17 |
1 |
21 |
6 |
361 |
43
|
その他の公式戦
脚注
関連項目
外部リンク