室内室内
『室内』(しつない、フランス語: Intérieur)は、別名『強姦』(ごうかん)(フランス語: Le Viol)、エドガー・ドガによって1868年から1869年に描かれたキャンバスに油彩の絵画で、「ドガの主要な作品のうちで最も当惑させられる」("the most puzzling of Degas's major works")[1]と言われ、ランプの光のそばでの男と一部、服を脱いだ女との緊張した直面を描いている。 場面の演劇がかった性格は、歴史家らに、作品の文献上の出典を探す気にさせたが、しかし提示された出所は、どれも普遍的に認められていない。 絵画の題名でさえ、不明確である。 この画家の知人らは、これを「強姦」(Le Viol)か、でなければ「室内」(Intérieur)のいずれかで呼び、そしてドガが1905年に初めて展示したのは、後者の作品名のもとにおいて、であった。[2] 絵画はフィラデルフィア美術館所蔵である。[3] 背景ドガは、そのリアリズムへのコミットメントがつのりつつあったために、『バビロンを建設するセミラミス』(英語題Sémiramis Building Babylon)(1860年 - 1862年)、『少年たちを挑発するスパルタの少女たち』(英語題Young Spartans Exercising)(1860年ころ)、そして彼のサロンへのデビューを印うけた『中世の戦争の場面』(英語題Scene of War in the Middle Ages)(1865年)のような歴史的主題への初期の没頭からそれていたときに、『室内』を描いた。 彼の新たな方向は、彼が1866年のサロンに『障害競馬-落馬した騎手』(英語題Steeplechase—The Fallen Jockey)を出品したとき、明白であった。 ドガは、十中八九、『室内』を1869年のサロンに出品するつもりであった[4]が、しかし1905年6月になるまで一般公開されず、そのときパリのデュラン=リュエル画廊(Galerie Durand-Ruel)で公開された。[2] 1897年にドガは、この作品を、「わたしの風俗画」("mon tableau de genre")("my genre painting")と言ったが、これは、彼がこの絵を自作のなかで変則的(anomalous)と見なしていたことを示唆する。 解釈『室内』は、「近代生活のすべてのドガの構図のうちで最も芝居がかっている」("the most theatrical of all Degas's compositions of modern life")と言われてきた。[5] 美術史家らは、作品の「まぎれもなく舞台監督によって裏で操られた性格:」について書いている、 「品々は小道具であるかのように並べられるいっぽうで、ドラマチックな照明が、劇が演じられつつあるという印象を強めている... 謎めいた主題内容にくわえて、推測するところ、この舞台ふうの効果が、学者らが絵の文学上の出所を突き止めようとくりかえし努めた主な理由のうちのひとつである。」("distinctly stage-managed character:items are arranged as if they are props, while the dramatic lighting increases the impression that a play is being enacted ...In addition to the mysterious subject-matter, this stage-like effect is presumably one of the chief reasons why scholars have repeatedly tried to identify a literary source for the painting.")[2] さまざまな自然主義の長編小説が、考慮に差し出されてきた。 この印象主義者の友人であるジョルジュ・リヴィエールが最初に、ルイ・エドモン・デュランティの長編小説『フランソアーズ・ド・ケノアの闘い』(英語題the Struggle of Francoise Duquesnoy)を出所として提出した。 この考えは、R.H.ウィレンスキー(R.H. Wilenski)その他に認められたが、しかしデュランティの専門家からは満足のゆくものではないとされた。 のちに、エミール・ゾラの『マドレーヌ・フェラ』(Madeleine Férat)のなかの一場面が、いくつかの点でドガの絵画の諸要素と一致していると確認された--が、しかし、狭いベッドと円いテーブルは符合したいっぽうで、人物たちの互いの位置は符合しなかった。[6] 1976年に、美術史家セオドア・レフ(Theodore Reff)は、『室内』はゾラの長編小説『テレーズ・ラカン』の或る場面を描いているという推測を公開した。[7] この考えは、他の学者らに、広く、しかし普遍的にではなく、認められてきた。[2] 『テレーズ・ラカン』(1867年刊)は、若い孤児がおばによってその病気の息子カミーユ・ラカンと結婚させられる物語である。 テレーズは、カミーユの友人のひとりローランと情事を始め、彼らは、カミーユを殺害する計画を、死亡を事故に見せかけて、実行する。 のちに、結婚の夜に、テレーズとローランは、自分たちの関係が犯行によって毒されているのに気づく。 ドガによって描かれた場面にぴたりと符合するくだりは、ゾラの長編小説の第21章の冒頭に出てくる:
レフは、テクストにおいて言及されていない絵画におけるいくつかの要素(たとえば、裁縫箱、床のコルセット)を芸術的許容、とそれからもしかしたら第二の文学テクストの影響、に帰した。[8] 2007年に、フェリックス・クラマー(Felix Krämer)は、レフの結論と意見が異なる記事を公表した。 とりわけ、クラマーは、ゾラによって書かれた夫婦の寝室と絵のなかの狭いシングル・ベッドとの「決定的な」("critical")矛盾について書いた。 そのうえ、背景におけるビューローの上の男のトップ・ハットは、男が部屋にはいったばかりではないことを示唆しているが、上で引用されたくだりではローランははいったばかりである。[2] クラマーはそのかわりに、ドガの構図の「きわめて明白な出所」("most obvious source")として、ポール・ガヴァルニによるリトグラフを提示した: 『ル・シャリヴァリ』(Le Charivari)で1841年に刊行された、『ロレッツ』(Lorettes)シリーズのシート番号5(画像)。 ガヴァルニは、ドガによって高く賞賛された画家であったが、ドガはガヴァルニのリトグラフを約2000点、収集していた。[2] そのプリントと『室内』とのあいだの類似性の諸点は、クラマーによってつぎのように記述されている:
ガヴァルニのプリントは、娼婦を描いている。 題名『ロレッツ』(Lorettes)は、ノートル=ダム・ドゥ・ラ・ロレット(Notre-Dame de la Lorette)というパリ近隣、多くの娼婦の生息地を指している。 1841年に、モーリス・アルホイ(Maurice Alhoy)によって『ロレットの生理学』(Physiologie de la Lorette)(1841年)において記述されたように、この女たちはホテル住まいで、小さなスーツケースに持ち物を持ち運び、そのなかにはいつも、その容姿を保つのに用いる、不可欠な資産として裁縫箱も含まれた。 クラマーによれば、『室内』において裁縫箱が目立たせられた顕著さは、ベッド上の血液のしるしとともに、『室内』が、夫婦の不和ではなくて売春と性的暴力の余波を描いている場面であるという主張を支持している。[2] 影響『室内』の影響は、ドガの子分であるウォルター・シッカートの構図に、特に後者の『カムデン・タウンの殺人』(The Camden Town Murder)シリーズ(1908年)[9]と、『アンニュイ』(Ennui)(1914年)に、認められる。 シッカートとの会話において、ドガは、『室内』を風俗画(a genre painting)と言ったし、そしてより古い画家の例のように、シッカートの男女がともに居る描写は、ドラマチックな緊張と物語のあいまいさが特徴である。[10] 脚注
文献
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