宝塚海軍航空隊
宝塚海軍航空隊(たからづかかいぐんこうくうたい)及びその前身組織・滋賀海軍航空隊宝塚分遣隊(しがかいぐんこうくうたい たからづかぶんけんたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。戦時統制の中で活動自粛・閉鎖に追い込まれた宝塚歌劇団の本拠地宝塚大劇場を借り受け、校舎・宿舎に充てて教育・訓練を施した。 沿革
かろうじて甲飛第13期の卒業は果たしたものの、その多くは回天搭乗員に振り向けられ、パイロットへの志望が認められた者は僅かだった。解隊後の生徒は紀淡海峡の要塞構築作業に従事した。8月2日の作業では、生徒を乗せた汽帆船が鳴門海峡で撃沈され、82名が戦死している。1965年(昭和40年)、淡路島の鎧崎に慰霊碑を建立した際、宝塚音楽学校生徒10名が招待された。元隊員の「荒鷲の歌」斉唱に対し、歌劇団の代表曲「すみれの花」を唱和し、慰霊した。 脚本家の新藤兼人は海兵団へ入団後、徴用した建物を掃除する要員に任命され、天理教の信者詰所(海軍飛行予科練習生用)に続き、宝塚大劇場の掃除を行った。後にこの記憶を元に『陸に上った軍艦』(山本保博監督)の脚本を執筆している[1]。 主要機種教育訓練部隊のため、航空機の配属はない。 歴代司令
関連項目参考文献
脚注
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