安藤 定実(あんどう さだざね)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。稲津甚左衛門とも。
丹波国桑田郡小口村の人物。伏見宮邦輔親王の孫とされる。
丹波国桑田郡小口村(現在の京都府亀山市)の領主であり、南隣の出雲村に城砦を築いた。
天正7年(1579年)には、織田信長の命を受けた明智光秀に攻められ、城を捨てて逃げた。のち小口村に帰り、慶長10年(1605年)に死去した[1]。