安田章生安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉2月13日)は、昭和期の歌人、国文学者。文学博士。 人物尾上柴舟門下の歌人・安田青風の長男として兵庫県に生まれる。2歳のとき朝鮮・釜山に、4歳のとき京城に移る。1921年、兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)に転居。1925年、宍粟郡山崎町に移る。 龍野中学校(現兵庫県立龍野高等学校)、姫路高等学校文科を経て、東京帝国大学国語国文学科卒。大手前高等女学校教諭となる。戦中は土浦海軍航空隊教授嘱託、海軍教授を務める。1945年、天理語学専門学校(現天理大学)教授。1946年、松蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)教授。父とともに歌誌『白珠』を創刊。1949年、大阪樟蔭女子大学助教授、1950年教授。1966年甲南大学教授。 中世和歌の精神を短歌に導入することにつとめ、国文学者としては藤原定家、西行研究の大家であった。1964年、『藤原定家』で大阪大学より文学博士号取得。 1952年、大阪府文芸賞受賞。1967年、『明日を責む』で第13回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)。1978年「心の色」30首で第14回短歌研究賞受賞。甥の安田純生が『白珠』代表を継承している。門下に小谷博泰など。 著書
共著訳
参考
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