安昌浩

安 昌浩
安昌浩
安昌浩
各種表記
ハングル 안창호
漢字 安昌浩
発音: アン・チャンホ
ローマ字 Ahn Chang-ho
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安 昌浩(あんしょうこう[1]、アン・チャンホ、안창호、1878年11月9日 - 1938年3月10日)は、朝鮮の朝鮮独立運動家。は「島山」(とうざん、トサン、도산)。本貫順興安氏[2]

概略

朝鮮平安南道に生まれ[1]、1895年に漢城府に出て、イギリス人牧師ホレイス・グラント・アンダーウッドの救世学堂で学び、キリスト教徒となる。また万民共同会に参加し、独立運動に参加した。

大韓帝国における愛国啓蒙運動に従事したあと1900年に渡米したが、1905年日韓保護条約が締結されたことを知り帰国した。1907年、新民会を組織して、各地での講演会や大韓毎日申報を通した啓蒙活動や、大成学校・五山学校設立等の教育事業、磁器製造株式会社設立等の実業活動、中国での独立軍基地建設事業などの運動を展開したが、日韓併合の直前に亡命。新民会も1911年に百五人事件に関わったことで壊滅させられた[3]

中国経由で再びアメリカ亡命し、興士団(フンサダン、흥사단)を組織した。1919年には亡命朝鮮人によって中華民国上海で設立された大韓民国臨時政府に参加し内務総長を務め、朝鮮独立運動を行う。しかし、地域派閥や党派の争いが絶えず、畿湖(京畿道忠清道)出身でも両班でもなかったため、臨時政府内の主流とはなれず、1921年に内務総長を辞任した。1926年に修養同友会朝鮮語版を結成した。

その後は満州に渡り、独立運動の根拠地としての理想村を計画したが、1931年満州事変が勃発したことにより頓挫。さらに、上海事変で日中間が軍事衝突をしていた1932年4月29日に、上海の虹口公園尹奉吉が起こした上海天長節爆弾事件に関与したという嫌疑[注釈 1]日本軍に逮捕され、朝鮮へ連行されたうえで懲役4年の実刑を宣告され、大田の監獄に服役していた。1935年に仮釈放となり隠居した。しかし1937年6月に発生した修養同友会事件朝鮮語版李光洙朱耀翰趙炳玉らとともに逮捕され、収監中に病状が悪化し釈放されるも、肝硬変により京城帝国大学付属病院で死亡した。

ソウル島山公園と島山・安昌浩記念館が作られている。ハリウッド俳優のフィリップ・アーン(安必立)は長男、米海軍軍人でアジア系の女性として始めて米海軍に入隊したスーザン・アーン・カディ(安繡山)は長女。

主張

「自我革新・民族革新」という標語を掲げたうえで、「貴方は国を愛しているのなら、何時貴方は健全な人格になるのか。私達の中に人物がいないのは、人物になろうと決心して努力する人がいないからである。人物がいないと慨嘆するその人自身が、何故人物になろうと勉強・修養しないのか[4][注釈 2]」という主張のもと、朝鮮人自身が近代国家としての力を養った上で、民族の実力を以ってして日本からの独立を勝ち取るべき、というスタンスを取り続けたことである。そのために彼は、

  1. 男女共学の私立学校「漸進学校」等3校の近代的制度を取り入れた学校を設立。
  2. 青年団体「青年学友会」や修養団体「興士団」を設立。
  3. 近代的制度を取り入れた株式会社を設立し、出版等の産業振興を試みる。
  4. 「新民会」を結成し、金九呂運亨等といった明日の韓国を担うべきリーダーの育成に努める。
  5. アメリカ・ロシアに韓国人連携団体を設立し、生活改善運動を推進する。

といった運動を行った。

このように、自国の力不足を憂い、形の上での独立達成ではなく、それまでの韓国には存在しなかった近代化の概念を取り入れ続けて、他国にもひけをとらない近代国家に生まれ変わることを求め続けた。

評価

韓国では道徳の教科書にその高邁な精神が紹介されている[5]

韓国で左右区分なく尊敬され、今日上海臨時政府を重視する人々に権力を貪らず統合を重視して後ろから葛藤を調整した彼が国部に崇められなければならないと主張する人々もいる。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ テロには断固として反対の立場だったにもかかわらず、首謀者である金九の直属の上司としてその責任を問われたと考えられている。一方では、実際に中華民国政府から犯行資金を受領するなど関与していたという説もある。
  2. ^ 自分のもとを訪れた独立運動家が人材不足を嘆く言葉を発したたびに、決まってこの言葉で諭したと伝えられている。

出典

  1. ^ a b 「安昌浩」”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2022年7月13日閲覧。
  2. ^ (69)순흥 안씨” (朝鮮語). 중앙일보 (1983年6月18日). 2022年8月6日閲覧。
  3. ^ 大塚 嘉郎. 世界大百科事典 第2版 「新民会」の解説. 株式会社平凡社 
  4. ^ ソウル市内にある島山公園の記念碑の言葉より。
  5. ^ 「日本と韓国の道徳教科書内容の比較検討」孫美幸

参考文献

外部リンク