安倍寛麻呂
安倍 寛麻呂(あべ の ひろまろ)は、平安時代初期の公卿。治部卿・安倍東人の三男。官位は従四位下・参議。 経歴奈良時代中期の天平宝字元年(757年)に生まれるが、桓武朝末までの前半生の事績は不明で、40代後半の延暦22年(803年)になって中務少丞に任ぜられ、初めて歴史上に登場する。 大同元年(806年)平城天皇の即位後に伯耆掾(または介)として地方官に転じ、大同3年(808年)52歳にしてようやく従五位下に叙爵される。 嵯峨朝前半は侍従・民部少輔・斎宮頭などを歴任する。弘仁7年(816年)従五位上に叙せられると、弘仁8年(817年)正五位下・治部卿、弘仁9年(818年)従四位下と嵯峨朝の後半に急速に昇進し、弘仁10年(819年)参議兼大宰大弐に任ぜられ、叙爵後10年余りで公卿に列した。しかし参議任官後僅か1年半後の、翌弘仁11年(820年)11月11日卒去。享年64。最終官位は参議従四位下大宰大弐。 官歴注記のないものは『日本後紀』による。
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