宇喜多基家
宇喜多 基家(うきた もといえ)は、安土桃山時代の武将。宇喜多氏の家臣。宇喜多春家の子で、宇喜多直家の養子[2]、または宇喜多忠家の子。備前国沼城主。 生涯永禄5年(1562年)頃、宇喜多春家または宇喜多忠家の子として生まれる。 天正7年(1579年)、宇喜多氏が織田氏と和睦する際、宇喜多直家の名代として、織田信忠と面会したと伝わる。 天正10年(1582年)2月、備前での八浜合戦において総大将として出陣し、毛利氏の穂井田元清と戦ったが、流れ弾に当たって討死した[1]。この合戦には宇喜多春家と忠家も加わっていたが、春家も討死したとされる[2]。 死後基家は宇喜多氏の菩提寺とされる大賀島寺に葬られたが、岡山県玉野市八浜町大崎には与太郎神社も築かれ、いつのころからか「与太郎様」と呼ばれ、足の神様として信仰を集めている。 脚注参考文献
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