妙教寺 (京都市伏見区)
妙教寺(みょうきょうじ)は京都府京都市伏見区にある法華宗真門流の寺である。 歴史大圓山妙教寺は、宝泉院日孝を開山とし、大阪の富豪であった法華又左衛門貞清が開創。寛永年間に、当時の淀城主松平定綱が寺地を寄進し、寺域を整備した[1]。鳥羽・伏見の戦いで被災し、境内に戦死した幕兵の碑がある[2]。 建造物文化財
説話等小満・小女郎かつて妙教寺には、住職により小満・小女郎と名付けられた夫婦狐が住んでいた[3]。 ある時小満・小女郎は勝手に寺の買物帳を持ち出して綿を買い、子狐に着せたり床に敷いたりしていたが、住職に気づかれ寺を追い出される事となった[3]。 狐たちはまっすぐ鳥羽街道を京へ上ったが、食うものもなく子連れの難儀さに、とうとう千本御池あたりで小満は倒れてしまった[3]。 その地の貧乏な老夫婦に助けられた狐たちは、お礼にせんべいを作って売るように老夫婦に勧めたところ、美味しさから飛ぶように売れ、老夫婦は出世し金持ちとなった[3]。 この経緯が京に広まり、出世稲荷と名付けられた社が作られ、小満・小女郎は稲荷のお使いとして崇められるようになった[3]。 その後、夫婦狐は住職の夢枕に立ち、昔の罪を詫びるとともに、今後は寺の鎮守として寺を守ることを誓ったという[3]。 妙見堂の前に、妙教寺鎮守小満小女郎の塚が築かれている[3]。 ギャラリー
アクセス参考文献
脚注関連項目 |