太平区 (台中市)

台中市の旗 台中市 太平区
別称: 鳥松頭・鳥榕頭・鳥銃頭・蔗種頭
地理
位置 北緯24°05'
東経120°45'
面積: 120.7473 km²
各種表記
繁体字: 太平
日本語読み: たいへい
拼音: Tàipíng
注音符号: ㄊㄞˋㄆㄧㄥˊ
片仮名転写: タイピン
台湾語: Thài-pîng
客家語: Thai-phìn
行政
行政区分: 市轄区
上位行政区画: 台中市の旗 台中市
下位行政区画: 39里707鄰
太平区長: 陳小菲
公式サイト: 太平区公所
情報
総人口: 184,223 人(2016年1月)
世帯数: 61,150 戸(2016年1月)
郵便番号: 411
市外局番: 04
太平区の木: -
太平区の花: -
太平区の鳥: -
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台湾糖業鉄道太平駅

太平区(タイピン/たいへい-く)は、台中市市轄区

地理

行政区画

地区
北太平 新福里、新興里、新光里、新高里、新坪里、新城里、新吉里、宜欣里、宜昌里、宜佳里、中山里、豊年里、光明里、光華里、大興里、坪林里、勤益里
南太平 太平里、永成里、長億里、中平里、中政里、建興里、建国里、成功里、東平里、中興里、永平里、平安里
東太平 頭汴里、東汴里、聖和里、東和里、興隆里、光隆里、徳隆里、福隆里、永隆里、黄竹里

歴史

太平区の旧名は「鳥松頭」、「鳥榕頭」、「鳥銃頭」、「蔗種頭」などが伝わっている。その由来としては数々の説があるが、いずれも明確な証拠が無く諸説紛々の状態が継続している。「太平」の由来は太平林家が曽三汀山に物見櫓を設置し、入植者を保護したことから「太平」と命名された説と、日清戦争後に日本軍が駐留すると各地で日本統治に反対する勢力との衝突が続いたが、この地に至った時は何ら抵抗を受けることが無かったので「太平」となったという説がある。

1895年、太平は現在の台中市中区東区南区全域、西区北区烏日区の一部と併せて「藍興堡」と称され、1895年以前は「台湾府台湾県藍興堡」と称されていた。下関条約により日本に割譲されると、1896年に台中縣台中弁務署藍興堡と、続いて1901年に台中庁藍興堡に改称された。1920年の地方行政区の改正で台中州大屯郡と改称されると同時にに改めた和風庄名大平庄(おおたいら-しょう[1])が誕生し、1945年台湾の中華民国への編入により台中県大屯区太平郷、1950年に台中県太平郷と改称された。1996年、市制が施行され「太平市」が誕生した。2010年12月25日の台中県市合併、直轄市昇格に伴い太平区と改称され現在に至っている。

政治

行政

区長

歴代区長
氏名 任期

対外関係

姉妹都市・提携都市

国外

教育

国立勤益科技大学

科技大学

高級中学

国民中学

国民小学

交通

種別 路線名称 その他

観光

太平古農荘文物館
護国清涼寺

観光スポット

出典

  1. ^ 「州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、位置、管轄區域」大正九年八月十日、臺灣總督府令第四十七號

関連項目