大野順之助大野 順之助(おおの じゅんのすけ、1931年〈昭和6年〉1月26日 - )は、日本人のファッションデザイナー、ファッション教育者。 株式会社アミコファッションズの現 代表取締役社長。 経歴・年譜1931年(昭和6年)1月26年、中国大連市生まれ。 1957年(昭和32年)8月横浜港より単身渡米、パーソンズ・スクール・オブ・デザイン入学。 1957年(昭和32年)~1959年(昭和34年)チャールズ・ジェームズのアトリエに通う。 1958年(昭和33年)~1959年(昭和34年)人台のウルフフォーム社にも通う。 1960年(昭和35年)同校を主席で卒業。 卒業ショーのコンテストでただ一 人4部門すべてに入選、イブニングドレス部門では最優秀賞を獲得し、作品と大野氏の写真がニューヨークタイムスに紹介、同時にプラット・インスティテュートから講座を依頼され講師となる。 在学中に始めたアトリエを卒業後も継続、ジョンソン大統領(1963年~1969年)就任時に夫人(レディ・バード・ジョンソン)のイヴニングドレスをデザインした。 1963年(昭和38年)プラット・インスティテュートのファッション学科で4年生のアドヴァンスデザインとドレーピングを受け持つ。 プラット・インスティテュートの助教授に就任。 1964年(昭和39年)鯨岡阿美子がアミコファッションズを発足。 1965年(昭和40年)アミコファッションズの招聘により来日。 東京婦人子供既製服製造工業組合と大阪婦人子供服同業会の共催でアミコファッションズによる第1回立体裁断講習会が開催され、日本で最初のニューヨーク方式立体裁断講習会となる。 以後、毎年来日、アミコファッションズ主催で業界のファッションプロフェッショナル養成の特別講座を開催し、日本の既製服のレベルアップに力を尽くす。 1968年(昭和43年)「ドレスフォーム」を発売。 1965年から大野順之助の指導のもと人台「アミーカ」を製作。 それまでサイズデータの裏付けのない人台しかなかったため瞬く間に業界に広まり、JIS規格などない時代に「業界標準」を作る。 1971年(昭和46年)プラット・インスティテュート教授に就任。 1988年(昭和63年)鯨岡阿美子の逝去により、アミコファッションズの事業を継承。 1989年(平成元年)アパレル向けCADの開発に携わる。 1991年(平成3年)プラット・インスティテュートの名誉教授に就任。 人台(立体裁断用ボディ)開発1965年(昭和40年)既製服用人台「アミーカ」4サイズ、7号~13号を製作。 1968年(昭和43年)「ドレスフォーム」ミス体型4サイズ、6号~12号とジュニア体型4サイズ、5号~11号を製作。 1969年(昭和44年)「ドレスフォーム」ミセス体型2サイズ、90号・95号と「ヌードフォーム」3サイズ、7号~11号を製作。 1982年(昭和57年)「ドレスフォーム」ミッシー体型1サイズ、10号を製作。 1984年(昭和59年)「ドレスフォーム」トールミス体型3サイズ、8号~12号を製作。 1993年(平成5年)「ドレスフォーム」ミセス体型新2サイズ、90号・95号とミッシー体型2サイズ、8号・12号を製作。「メンズフォーム」3サイズ83号~95号も製作。 1996年(平成8年)「スラックス」6サイズ、8号~14号と90号・95号を製作。 2014年(平成26年)「ドレスフォーム」トールミス体型1サイズ、10号セカンドエディションを製作。 2023年(令和5年)「ヘッドフォーム」を製作。 著書
監修(アミコファッションズ発行・出版物
執筆中
掲載
立体裁断講習会1965年(昭和40年)東京婦人子供既製服製造工業組合と大阪婦人子供服同業会の共催で始まったアミコファッションズによる立体裁断講習会は現在も継続して開催されている。 技術提供
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