大野真雄
大野 真雄(おおの の まお)は、平安時代初期の貴族。名は直雄とも記される。上総介・大野真本の子とする系図がある。官位は従四位上・左近衛中将。勲等は勲五等。 経歴桓武朝にて正五位上に至り、延暦25年(806年)桓武天皇の崩御に際して作路司を務める。平城朝の大同3年(808年)に兵部大輔に任ぜられる。 大同5年(810年)9月に発生した薬子の変に際しては嵯峨天皇側で活動し、左近衛少将に任ぜられると共に、固関使として美濃国の不破関に派遣される。乱後まもなく、従四位下・左兵衛督に昇進した。弘仁2年(811年)左近衛中将に転じて左京大夫を兼ね、弘仁6年(815年)従四位上に至る。 弘仁9年12月2日(819年1月1日)卒去。享年55。最終官位は越前権守従四位上。 官歴注記のないものは『日本後紀』による。
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