大道寺為久
大道寺 為久(だいどうじ ためひさ)は、江戸時代前期の弘前藩家老。 生涯陸奥国弘前藩2代藩主・津軽信枚の七男(または十一男)として誕生。 重臣・大道寺直英の養子・直秀が急死したため、寛永17年(1640年)11月に直秀の娘の喜久を娶り、直英の婿養子となる。同時に弘前藩家老となり、家督と知行1000石を継いだ。のち1300石。 正保4年(1647年)、藩主・津軽信義の排斥事件(正保の騒動)に関わり、長兄・信義を排除し次兄・信英を擁立しようとした咎で、家禄没収の上で大俵村に蟄居させられた。万治3年(1660年)、許されて大道寺に復姓する。城番となり、寛文10年(1670年)には城代となる。 嫡男・繁清が家禄と家老職を継いだ。 系譜参考文献
脚注 |