大谷 靖(おおたに[1] / おおや やすし、弘化元年9月14日(1844年10月25日) - 昭和5年(1930年)3月6日[1][3][4])は、明治から昭和初期の内務官僚、政治家。貴族院勅選議員、錦鶏間祗候[5]。位階および勲等は正三位、勲二等。
経歴
周防国玖珂郡岩国城下錦見[1][3](山口県玖珂郡岩国町を経て現岩国市)で、岩国藩士・大谷権左衛門の長男として生まれる[1][3]。文武を修め[1][3]、1871年(明治4年[注釈 1])福岡県に出仕。福岡県権典事、大蔵権少丞、太政官少書記官、大蔵少書記官、大蔵権大書記官、内務権大書記官、内務省会計局長、同庶務局長、社寺局長心得、内務書記官・造神宮副使などを歴任した[1][3]。
1914年(大正3年)に退官後は済生会理事長を務めた[1][3]。1915年(大正4年)10月13日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[5]。
1919年(大正8年)1月27日に貴族院議員に勅選され[7][8]、死去するまで在任した[9][10]。
栄典
- 位階
- 勲章
親族
出典
注釈
- ^ 『増補 近世防長人名辞典 第2刷』66頁、『防長人物百年史』223頁では明治2年。
出典
- ^ a b c d e f g 『増補 近世防長人名辞典 第2刷』66頁。
- ^ a b c d e f 『防長人物百年史』223頁。
- ^ 『官報』第957号、昭和5年3月11日。
- ^ a b 『官報』第961号、大正4年10月14日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁。
- ^ 『官報』第1944号、大正8年1月28日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
- ^ 『官報』第956号、昭和5年3月10日。
- ^ 『官報』第4943号「叙任及辞令」1899年12月21日。
- ^ 『官報』第8243号「叙任及辞令」明治43年12月12日。
- ^ 『官報』第558号「叙任及辞令」1914年6月11日。
- ^ 『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1960年。
- 末弘錦江『防長人物百年史』山口県人会、1966年。
- 吉田祥朔『増補 近世防長人名辞典 第2刷』マツノ書店、2002年。