大蓮寺 (浦安市)
歴史1544年(天文13年)、覚誉存栄によって開山された。覚誉存栄が浦安に訪れた際、町外れの小堂に、行基が彫ったと伝えられる勢至菩薩像が安置されているのを見て、自分が居た小田原の大蓮寺と同じ名称の寺を創建した[1]。 当寺から増上寺第39世法主となる学誉冏鑑を輩出している[2]。 久助稲荷境内には、「久助稲荷」と呼ばれる神社がある。学誉冏鑑が増上寺法主だった頃、夢の中に当寺の使用人だった久助が現れ、「大蓮寺の稲荷が荒れているので直してほしい」と頼みごとをした。学誉冏鑑は了承して、当寺に問い合わせたところ、久助はかなり以前に亡くなっていたことが判明した。この久助の志を汲み、修築費用を出して、この稲荷を「久助稲荷」と呼ぶようになった[2]。 文化財
交通アクセス
脚注参考文献
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