大蓮「大蓮」の読みは長らく「おばつじ」だったが、大蓮東1 - 5丁目、大蓮北1 - 4丁目、大蓮南1 - 5丁目の現行町名が実施された1971年(昭和46年)に「おおはす」に変更した。なお、「おばつじ」時代は大阪府下屈指の難読地名で知られた。 概要昭和30年代までは農地が広がっていたが、高度経済成長に伴う人口集中でベッドタウンとして開発され、現在はほぼ宅地化されている。宅地化が急速かつ無秩序に進んだことから地区内の道路は概ね狭隘であるが、条里制に由来する地割が現在でも残っている。 江戸期には渋川郡大蓮(おばつじ)村を形成。1889年(明治22年)4月1日より長瀬村大字大蓮、1937年(昭和12年)4月1日より布施市大蓮、1967年(昭和42年)2月1日より東大阪市大蓮となり、1971年(昭和46年)に現行町名となった。 地名の由来中将姫が当地の大蓮池(渕側池とも)に群生する蓮で当麻曼荼羅を織ったとされる故事、または、当地にあった大蓮寺という臨済宗の寺院名に由来する。 大蓮池(おおはすち)、または、大蓮寺(おおはすじ)が「おばつじ」に変化したと考えられている。 大蓮東
世帯数と人口2020年(令和2年)3月31日現在(東大阪市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2019年4月時点)[10]。なお、三丁目とご丁目の全域と四丁目の一部は調整区域である。
事業所2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
大蓮北
世帯数と人口2020年(令和2年)3月31日現在(東大阪市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2019年4月時点)[10]。
事業所2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
大蓮南
世帯数と人口2020年(令和2年)3月31日現在(東大阪市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2019年4月時点)[10]。
事業所2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
施設等
交通その他日本郵便
脚注
関連項目 |