大臣病大臣病(だいじんびょう)とは、与党の国会議員が国務大臣のポストに執着すること[1]。 概要議院内閣制における国務大臣は、各種許認可や補助金交付等の強大な権限を持つ。政治家にとって大臣の職は権威の象徴であり、旧大蔵省などの重要な省庁の所管大臣として就任すれば、議員自身の政界における重みも増し、政治資金の調達などに大きな転換期となることもあり得る。逆に、本来大臣になっていていいはずのキャリアで大臣になれないでいることは、周囲から政治家としての資質を問われることにもなる。またごく一部の時期を除き自由民主党が衆参ともに多数派を占めてきたとは言え大多数は総理・総裁はおろか派閥領袖にもなれなかった自民党議員たちにとっては、政治家生活のなかで大臣ポストを経験することが、おおむね議員引退後に受ける叙勲において三権の長経験者以外の在職年数の長い(もしくは国務大臣を経験した)国会議員が受章対象となる勲一等旭日大綬章(旭日大綬章)の受章とともに一つのステータス、ひいては死後においても選挙区内で「地元の功労者」として名前が残るバロメータとして国務大臣就任を志向する自民党議員は多い。 戦後において、常に選挙のたびに落選の危機感に苛まれる非自民党系議員とは異なり、「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」の3つのバン(三バン)に守られ選挙も楽勝で当選回数を重ねる自民党系議員は昭和・平成・令和問わず相当数おり、国務大臣就任を志向する議員も数多い。 こうしたことから1955年の保守合同によって誕生した自由民主党長期政権下の組閣や内閣改造では、大臣の選任は概ね各派閥間の均衡を目的としたいわゆる「派閥の論理」で行われた[1]。その結果、大臣在任期間を1年程度として内閣改造によって大臣を頻繁に代えることが常態化し、長期に渡って政策に取り組むことが困難な大臣に代わって官僚が実権を握ることになった。 佐藤内閣までは能力が今一つと判断されれば大臣になれないまま引退する自民党国会議員が少なからずいたが、田中角栄内閣以降は自民党国会議員が当選回数を重ねれば大臣にほぼ就任できるシステムが確立されることになった[2]。当選回数が衆議院議員で5回、参議院議員で3回以上が大臣の資格の条件(大臣適齢期・入閣適齢期)とされ、大臣に就任していない自民党国会議員は「大臣待望組」「入閣待望組」「大臣待機組」「入閣待機組」と呼ばれた。大臣病対策の大臣ポストとしては歴代首相があまり重視せず権限が少ない伴食大臣(自治大臣、法務大臣、総務庁長官、科学技術庁長官、行政管理庁長官、環境庁長官、北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官、国土庁長官、総理府総務長官、国家公安委員会委員長など)に充てられることが多かった。 しかし、1994年以降の政治改革によって、首相権限強化と派閥影響力停滞によって序列によらない閣僚の抜擢採用(俗にサプライズ人事と言われるもの)が多くなり、自民党の場合は下野していた野党時代(1993年-1994年、2009年-2012年)があったため、必ずしもこの条件に当てはまれば大臣になれるというものではない。事実、2024年1月時点の自民党国会議員のうち、上記の条件から更に当選回数を重ねた衆議院当選6回以上の未入閣議員は11人、参議院当選4回以上の未入閣議員も5人おり、これに上記条件に当てはまる衆院5回、参院3回の議員を加えた総数は61人にのぼる。 しかしながら、2014年の第2次安倍改造内閣発足前後には、これらの議員をかつてのように「入閣待望組」とマスメディアが呼称しており、文字通り入閣を待望する議員も存在するとされる[3]。 現職の自由民主党国会議員の当選回数別大臣就任人数
(当選9-12回、14回以上の政治家は全員大臣経験がある、参議院議員経験者には「議員名(参○回)」)
(当選7回以上の政治家は全員大臣経験がある、衆議院議員経験者には「議員名(衆○回)」)
参考文献
脚注
関連項目 |