大泊 (おおとまり/おほとまり[ 17] )は日本海軍 の砕氷艦 。日本で建造された最初の砕氷艦でもある。艦名は亜庭湾 北部の大泊港にちなむ[ 18] 。同型艦はない。
計画
日本海軍には、北洋警備の重要性に対する認識はあったものの、高い砕氷能力を持った艦の建造には至らなかった。しかし、1920年(大正9年)に尼港事件 が発生した際、氷海での行動力を持った艦を保有していなかったため、救援に失敗したことが教訓となり、大正9年度計画の能登呂型給油艦 のうち1隻を砕氷艦に変更[ 19] し、大正10年度軍備補充費[ 17] で本艦が建造された。
艦型
ロシアの砕氷船「ドブルニア・ニキチッチ」
艤装はロシアの砕氷船「ドブルニア・ニキチッチ」を調査した結果を基にしていた[ 20] が、羅針艦橋が開放式で防寒防風波浪への対応には天幕を張るだけだったこと、冬季における寒さ対策が十分でなかったこと、船体の強度が不十分だったことなどから、後に羅針艦橋を全周密閉式として室内に木材を張りガラス窓としたり[ 21] 、中央構造物から艦尾に達するプープデッキ を増設して居住区とし、さらに艦首に衝角 状の突起を設けて艦首の強度を高める[ 22] などの対策が施された。
約1mの厚さの氷盤を割るときは、艦首を氷盤の上に乗り上げてから、艦首部の海水タンクにポンプで海水を満たし、艦自身とタンク内の海水の重量で氷を上から押し曲げて割っていた[ 23] 。2mの砕氷能力を持つとされたが、実際の砕氷能力や連続砕氷能力はこれより小さいはずだった[ 24] 。
運用
竣工後、舞鶴鎮守府 、次いで横須賀鎮守府 に籍を置いたが、春季から夏季にかけて函館 、大湊 [ 25] 、あるいは横須賀に帰投し修理や乗員の交代を行った時以外は一貫して北洋で行動し、日本海軍唯一の砕氷艦として北方全般の警備、航路啓開、漁業の保護に多大な貢献を果たした。海人社 は本艦を「間宮 に匹敵する功労艦」と評価している[ 26] 。また、1930年から1941年までの間、断続的にオホーツク海での流氷原の調査を行なっている[ 27] 。
太平洋戦争 前に大湊警備府 附属[ 25] となり、戦時中は主として宗谷海峡 や亜庭湾で行動[ 25] し、ソ連 船の臨検などを行った。1945年7月20日、補修整備のため横須賀に入港[ 25] し同地で終戦を迎えた。
1938年3月、日本海軍は本艦の老朽化、砕氷能力の低さ、そして砕氷艦が一隻しかないことを問題視し、新砕氷艦の建造と合わせ2隻の耐氷型貨物船を購入し砕氷艦に改造する計画が検討された。しかし、結局海軍は「地領丸」を特務艦「宗谷 」に改装したのみで、その宗谷も戦局の逼迫に伴い南洋に回されてしまい、本艦に代わる砕氷艦は終戦まで出現しなかった[ 28] 。
1945年12月1日、横須賀地方復員局 所管の特別輸送艦 に指定された[ 29] が、艤装や缶の損耗が著しく整備に多額の費用がかかるため使用されず、日本鋼管 鶴見造船所の岸壁に係留され、1946年5月7日には特別輸送艦の指定を解かれた[ 30] 。後に長浦港 に曳航され係留。砕氷能力があるため海上保安庁 の北洋用巡視船 として使用する計画もあったが、修理費がかさむために見送られ、1949年10月から1950年3月にかけて解体された[ 31] 。本艦の退役後、冬季の北洋警備を担う砕氷船は長らく存在しなかった。1960年にようやく耐氷改造された旧海軍海防艦 つがる が第一管区海上保安本部に配属、本格的な砕氷性能を有する巡視船「宗谷 」(上記の特務艦宗谷と同一の船)が南極観測任務を解かれ第一管区に配備されるのは1963年4月のことである。
艦長
艤装員長
國生行孝 大尉:1921年10月1日[ 32] - 1921年11月7日[ 33]
特務艦長/艦長
(心得)國生行孝 大尉:1921年11月7日[ 33] - 1921年11月15日[ 34]
吉武純蔵 中佐:1921年11月15日[ 34] - 1922年11月10日[ 35]
太田質平 中佐:1922年11月10日[ 35] - 1923年10月15日[ 36]
佐藤英夫 中佐:1923年10月15日[ 36] - 1924年10月25日[ 37]
毛内効 中佐:1924年10月25日[ 37] - 1925年7月1日[ 38]
(兼)平山栄 大佐:1925年7月1日[ 38] - 1925年8月1日[ 39] (本職:北上 艦長)
石川眞吾 中佐:1925年8月1日[ 39] - 1926年11月1日[ 40]
大野功 中佐:1926年11月1日[ 40] - 1927年12月1日[ 41]
山縣少介 中佐:1927年12月1日[ 41] - 1928年3月25日[ 42]
(兼)小山泰治 中佐:1928年3月25日[ 42] - 1928年5月1日[ 43] (本職:大湊防備隊司令)
曾我清市郎 中佐:1928年5月1日[ 43] - 1929年5月1日[ 44]
山田定男 中佐/大佐:1929年5月1日[ 44] - 1930年12月1日[ 45]
鬼俊民 中佐:1930年12月1日[ 45] - 1931年11月2日[ 46]
草川淳 中佐:1931年11月2日[ 46] - 1932年11月15日[ 47]
居谷吉春 中佐:1932年11月15日[ 47] - 1933年11月15日[ 48]
塚原胤一 中佐/大佐:1933年11月15日[ 48] - 1934年11月15日[ 49]
宮里秀徳 中佐/大佐:1934年11月15日[ 49] - 1935年11月15日[ 50]
森田一男 中佐:1935年11月15日[ 50] - 1936年11月2日[ 51]
江口松郎 中佐/大佐:1936年11月2日[ 51] - 1938年12月15日[ 52]
門前鼎 大佐:1938年12月15日[ 52] - 1939年11月15日[ 53]
村山清六 大佐:1939年11月15日[ 53] - 1940年11月1日[ 54]
今村幸彦 大佐:1940年11月1日[ 54] - 1942年6月15日[ 55]
岡恒夫 大佐:1942年6月15日[ 55] - 1943年12月5日[ 56]
千葉次雄 大佐:1943年12月5日[ 56] - 1944年2月26日[ 57]
千知波長次 大佐:1944年2月26日[ 57] - 1945年10月5日[ 58] [ 注釈 5] 、以後1946年1月8日まで特務艦長および艦長の発令無し。
戸村清 第二復員官:1946年1月8日[ 59] - 1946年3月20日[ 60] 、以後艦長の発令無し。
注釈
^ #日本補助艦艇物語pp .388-389では60.05mになっている。
^ #終戦時の日本海軍艦艇p .101では、深さ20 ft 0 in (6.10 m)となっているが、吃水に比べて明らかに値が小さい。
^ #日本補助艦艇物語pp .388-389では6.04mになっている。
^ #戦史叢書31海軍軍戦備1 付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」では14ノットとされている。ただし、この年の特務艦の速力は他艦を含めて全て小数点以下は記載されていない。
^ 充員召集を解除されたことによる自動解職。
脚注
^ a b #日本海軍全艦艇史p .870
^ a b c d e f g #昭和15年6月25日現在 内令提要 10版 追録第7号原稿 画像7、艦船要目公表範囲
^ #海軍制度沿革巻八p .104、大正十年八月三日(達一五四) 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス 運送艦ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |砕氷艦| |大泊|(原文は縦書き)
^ #写真日本の軍艦第13巻p .51。
^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p .271
^ 大正10年6月24日付 発・川崎造船所社長松方幸次郎、宛・艦政本部長電報。アジア歴史資料センター レファレンスコード C08050173600 で閲覧可能。
^ 大正10年10月3日付 発・呉鎮守府司令長官、宛・海軍大臣電報。アジア歴史資料センター レファレンスコード C08050173600 で閲覧可能。
^ #写真日本の軍艦第13巻p .47。
^ a b c d #写真日本の軍艦第13巻p .52。
^ a b c d e f g h i j k #戦史叢書31海軍軍戦備1 付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1 付表第三その三「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1 付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
^ #日本海軍艦船名考 242頁。
^ a b c #終戦時の日本海軍艦艇p .101
^ #昭和造船史1pp .794-795
^ 大正10年11月7日付 海軍内令 第425号制定、海軍定員令 「第77表 砕氷艦定員表」。士官3、特務士官2、准士官2、下士官14、兵57。
^ a b 大正10年5月30日付 海軍大臣達 第104号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070078800 で閲覧可能。おおどまり ではない。
^ 『日本海軍艦船名考』243ページ。
^ 世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 140。
^ 大正10年11月9日付 発・海軍大臣、宛・舞鶴鎮守府司令長官電報。アジア歴史資料センター レファレンスコード C08050173700 で閲覧可能。
^ 大正10年11月10日付 海軍艦政本部 艦本第8849号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C08050173700 で閲覧可能。
^ 丸スペシャル『特務艦』、p. 53。
^ 『世界の砕氷船』48ページ。
^ #日本海軍特務艦船史p .36
^ a b c d 丸スペシャル『特務艦』、p. 49。
^ 世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 37。
^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ37 帝国陸海軍補助艦艇』学習研究社、2002年、17ページ
^ 『世界の砕氷船』49ページ。
^ 昭和20年12月1日付 第二復員省内令 第6号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070534400 で閲覧可能。
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^ 丸スペシャル『特務艦』、p. 54。
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参考文献
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浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社 、1928年12月。
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「樺太方面を行動中の砕氷艦「大泊」」『世界の艦船』633号、海人社、2004年。
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COMPILED BY SHIZUO FUKUI(福井静夫), ed (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR(終戦時の日本海軍艦艇) . ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU(第二復員局)
福井静夫 『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社 、1993年。ISBN 4-7698-0658-2 。
福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 。
防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書 第31巻、朝雲新聞社 、1969年。
丸スペシャル No. 34 日本海軍艦艇シリーズ 『特務艦』、潮書房 、1979年。
雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I 』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6 。
関連項目