大沢城 (丹波国)
大沢城(おおざわじょう)は、丹波国多紀郡西部(現在の兵庫県丹波篠山市大沢[注釈 1])にあった日本の城(山城)。丹波酒井氏の一族、初田酒井氏の詰城と伝わる[2]。 概要230mの城域を持つ中規模の城郭で、標高422m、比高222mの山頂に所在した[2]。 酒井勘四郎の居館と伝わる初田館(丹波篠山市初田)の西に位置し、勘四郎は戦時に大沢城に拠ったとされる[3]。 大沢城から東北に尾根を下った場所には、酒井勘四郎の被官・杉本与右衛門が城主を務めた禄庄城がある[4]。また、禄庄城の北部の同じ大沢内に佐幾山城があり、禄庄城の出城の役割を果たしていた[5]。 大沢城の南900mには南矢代城(丹波篠山市南矢代)があり[2]、矢代酒井氏の酒井氏治が守っていた[6]。酒井氏は、大沢城の西方にある高仙寺城(丹波篠山市見内[7])を酒井党結束の中核とし、大沢城・南矢代城・油井城・栗栖野城などの酒井一族の城により、永禄年間(1558 - 1570年)以後、酒井郷の守りを固めたものとみられる[8]。 脚注注釈出典
参考文献
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