大森光章大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - 2009年3月26日)は日本の小説家、フリーライター、禅僧(上座)。幼名は倖二。今出光章、北町陽一郎名義による作品もある。弟に歌人の大森亮三。 経歴北海道虻田郡倶知安町の禅寺の生まれ。少年期から父親の伴僧として葬儀や法事に出席[1]。旧制中学卒業後、小学校の代用教員をつとめる[2]。函館師範学校中退[3]。明治大学専門部文芸科中退。戦争末期に召集される。 小学校教員をつとめるかたわら、1947年に倶知安で『新芸術派』を創刊。1949年上京し、中河与一主宰の「ラマンチヤ」に参加。のち、新日本文学会に参加。 工員や印刷会社社員や大学職員として働きつつ、「文芸日本」「円卓」「層」「凱」「公園」など数々の文芸同人誌に関わる。有馬頼義主催の「石の会」にも参加。 1961年「名門」で同年上期の芥川賞候補、同年下期「王国」、1962年下期「培養」で同候補。 『週刊新潮』の「黒い報告書」の執筆や、社史や経営社の伝記などのゴーストライターなどで生活する[4]。 著書
脚注 |