大宝 (企業)
大宝株式会社(たいほう)は、かつて存在した日本の映画配給会社である。1961年(昭和36年)8月31日の新東宝株式会社の倒産後、同年9月1日に配給部門を分社化して設立したが、わずか4か月後の翌年1962年(昭和37年)1月10日には業務停止となった。 略歴・概要1960年(昭和35年)12月1日、経営不振から社長の大蔵貢が退陣、1961年(昭和36年)5月には製作を停止していた新東宝が同年8月31日をもって倒産。1950年(昭和25年)1月18日に設立されていた新東宝配給株式会社を母体に、同年9月1日に配給部門を分社化して設立した。 設立第1回配給作品は、新東宝のプロデューサーだった佐川滉が設立した佐川プロダクションが製作、おなじく新東宝の助監督であった山際永三が監督した『狂熱の果て』であった。 わずか4か月後の翌年1962年(昭和37年)1月10日には業務停止となった。佐川プロダクションが製作した『黒と赤の花びら』は、同年1月14日にかろうじて公開にこぎ着けている。『波止場で悪魔が笑うとき』も同年1月3日に『大吉ぼんのう鏡』と2本立てで公開されている。[1][2] 2009年(平成21年)、散逸していた『黒い傷あとのブルース』、『黒と赤の花びら』、『波止場で悪魔が笑うとき』の16ミリプリントが発見され、上映会が開かれている[3]。このプリントおよびポスター等の発見により、長らく「中川信夫の幻の作品[4][3][5]」とされていた『波止場で悪魔が笑うとき』が、かつて1961年(昭和36年)に曲谷守平監督の『北上川悲歌』を製作した第一プロダクション[6]製作・「中川順夫」監督作品であることが判明した[3]。 また、『狂熱の果て』は東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)に35mmネガフィルムが収蔵されていると判明。[2] 2018年2月2日・20日にフィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」でニュープリントにて56年ぶりに上映された。[7] なお、開催期間中(2018年1月30日~3月4日)はフィルムセンター大ホール前に『狂熱の果て』の台本・スチール写真・公開当時の縦長ポスターが展示された。さらに、2018年10月24日・12月5日に国立映画アーカイブの上映企画「国立映画アーカイブ開館記念・アンコール特集」で再上映された。 フィルモグラフィ
註
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