大和久 彪(おおわく たけし、1914年1月23日 - 1956年8月25日)は、将棋棋士。贈八段。石井秀吉七段門下。千葉県千葉市出身。
経歴
人物
- 縁起を特に気にしていたといわれている[誰によって?]。死去の半年ほど前に、松下力八段との対局で駒柱(駒が将棋盤の一段目から九段目まで縦一列に並ぶ事)が現れ、その対局は大和久が敗れた。それからまもなく大和久が病床につき休場、若くして腎臓病で亡くなった。この時の駒柱の位置が死線に通じる4の列だった。
- 升田幸三実力制第4代名人が低段時代にライバル視していた棋士としても有名。
- 弟子に長谷部久雄がいる。
- 晩年、日経新聞に「飛将軍」のペンネームで観戦記を執筆した[1]。
昇段履歴
- 1933年 入門
- 1936年 四段
- 1944年 七段
- 1956年8月25日 逝去
- 1968年11月3日 八段(表彰感謝の日表彰 追贈)
著書
脚注
- ^ 『山田道美将棋著作集 8巻』(大修館書店)P.111
関連項目