大伴真綱
大伴 真綱(おおとも の まつな)は、奈良時代の貴族。官位は従五位下・陸奥介。 経歴宝亀11年(780年)陸奥国上治郡(伊治郡)大領・伊治呰麻呂が伊治城で反乱を起こし、按察使・紀広純を殺害する。この時、ただ一人真綱だけが蝦夷の兵士が包囲する一角を破って脱出し、多賀城に逃れた。多賀城には兵器や兵糧が潤沢にあり、城下の百姓らは競って城中に入り保護を求めた。しかし、真綱と陸奥掾・石川浄足は城の後門から逃走してしまったため、拠り所を失った百姓らは間もなく散り散りに去って行った。数日して蝦夷の兵士が多賀城に襲来し、城の物資を略奪した上で城を焼き払った[1](宝亀の乱)。 朝廷では即座に中納言・藤原継縄を征東大使とする征討軍の任官が行われ、真綱は陸奥鎮守副将軍に任ぜられている。 官歴『続日本紀』による。 脚注
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