外立岩治
外立 岩治(はしたて いわじ、1892年(明治25年)2月4日[1] - 1943年(昭和18年)1月26日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階は従四位[2] 経歴1892年(明治25年)に熊本県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1938年(昭和13年)に陸軍歩兵大佐に進級し[3]、1939年(昭和14年)3月に第33師団参謀長となり[3]、日中戦争に出動[1]。同年8月に歩兵第14連隊長に転じ、満州に駐屯した[3]。 1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級と同時に第23歩兵団長となる[1][3]。1942年(昭和17年)には南方軍通信隊司令官に転じ[1]、南方方面に出撃。1943年(昭和18年)1月26日に南方方面で戦死[2][3]。同日付けで陸軍中将に進級し[1][3]、特旨をもって位一等追陞された[2]。 栄典
脚注参考文献
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