壬生城 (安芸国)
壬生城(みぶじょう)は、安芸国山県郡壬生(現・広島県山県郡北広島町壬生)にあった日本の城(山城)。別名高峰城。 構造標高357mの城山に築いた階郭式の山城で、頂上に本丸があり、それに続く形で二ノ丸、三ノ丸を配している。 沿革正確な年代は不明だが、鎌倉時代に山県為綱が安芸国に下向し、その後に築城されたと伝わる。壬生城は山県氏の居城として機能し、南北朝の頃には足利直冬の指揮下に入り、足利尊氏軍と戦った。 戦国時代には安芸武田氏の影響下に入っていたが、永正14年(1517年)の有田中井手の戦いで安芸武田氏当主・武田元繁が毛利・吉川連合軍に敗れて討死すると、大永2年(1522年)8月、壬生城は毛利元就の攻撃を受けた。元就は調略で城主・山県信春の叔父、山県元照を寝返らせ、8月16日に壬生城を落城させた。 壬生城は、山県元照が城主となり、その後は嫡男の山県就照が城主となった。その後、山県氏は毛利水軍の一員となり、毛利元就の勢力拡大に尽力した。 壬生城が廃城となった時期は不明だが、天正19年(1591年)の広島城完成頃か、慶長5年(1600年)の防長移封の頃と思われる。 関連項目 |