塩田忠左衛門 (先代)先代塩田 忠左衛門(しおた ちゅうざえもん[1]、旧字体:鹽田 忠左衞門[2]、1843年2月27日(天保14年1月29日)[3][4] - 1925年(大正14年)9月23日[1][5])は、日本の政治家、実業家、資産家[6]、大地主[7]、香川県多額納税者[2][3][8][9]。衆議院議員(香川県第五区選出、当選1回)[1][7]。西讃銀行取締役[1][10]。族籍は香川県平民[3][9][11]。 経歴讃岐国三野郡仁尾村(現・香川県三豊市)に生まれた[7]。忠左衛門の長男[3][9]。早くから家庭の薫陶を受け、また金光寺信元に就いて漢籍を修めた[7]。商業を営んだ[3][11][12]。 1874年、三野郡仁尾村学務委員となり、それ以来仁尾村会議員、三野豊田郡地位等級会議員、香川県会議員、仁尾村勧業世話係、仁尾村第六聯合会長、仁尾村家の浦聯合会議員、仁尾尋常小学校建築委員長、仁尾村長等の各公職に就任[7]。日本赤十字社に加盟して香川支部常議員、商議員を嘱託された[7]。 1898年1月、西讃銀行取締役に当選した[7]。同年8月、衆議院議員臨時総選挙の際、県下第5区より推されて当選した[7]。 人物香川県下有数の資産家であった[3][9]。村及び郡に多額の寄付をして、金盃を下賜された[4]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[12]。 家族・親族
香川県三豊郡仁尾町にある塩田忠左衛門の邸宅は屋号「松賀屋」と呼ばれ、明治時代の面影を今に伝えてきた[13]。松賀屋は築100年以上の古民家で、仁尾町で醤油や茶を商い、さらに海運業や製塩業などで仁尾町に繁栄をもたらした[14]。長らく空き家になっていたが、2012年、「松賀屋を再生し、観光の拠点を築きたい」と地域住民を中心とした「仁尾まちなみ創造協議会」が設立された[13]。さらにその協議会のメンバー5人が2014年、一般社団法人「誇」を立ち上げ、松賀屋を購入し、管理を始めた[13]。
脚注
参考文献
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