堤輝長
堤 輝長(つつみ てるなが)は、江戸時代の公家。堤家2代目当主。 生涯甘露寺時長の弟である中川貞長の子として生まれる。延宝6年(1678年)12月26日に叙爵を受けて従五位下となり、12月28日に元服・昇殿し、家名を「中川」から「堤」に改め、太宰少弐となる[1]。 天和元年(1681年)10月13日に右衛門権佐となる。天和3年(1683年)12月28日に従五位上、貞享3年(1686年)1月7日に正五位下、元禄3年(1690年)1月5日に正四位下となった[1]。 系譜脚注 |
堤輝長
堤 輝長(つつみ てるなが)は、江戸時代の公家。堤家2代目当主。 生涯甘露寺時長の弟である中川貞長の子として生まれる。延宝6年(1678年)12月26日に叙爵を受けて従五位下となり、12月28日に元服・昇殿し、家名を「中川」から「堤」に改め、太宰少弐となる[1]。 天和元年(1681年)10月13日に右衛門権佐となる。天和3年(1683年)12月28日に従五位上、貞享3年(1686年)1月7日に正五位下、元禄3年(1690年)1月5日に正四位下となった[1]。 系譜脚注 |