堤 晴長(つつみ はるなが、1695年3月19日(元禄8年2月5日) - 1749年10月22日(寛延2年9月12日))は、江戸時代の公家。堤家5代目当主。
生涯
左京権大夫・堤為量の次男として生まれる。ただし高倉永重の子とする説もある。1708年10月11日(宝永5年8月28日)に叙爵を受けて従四位下となる[1][2]。
1749年10月22日(寛延2年9月12日)、死去[1]。
系譜
脚注
- ^ a b 1988年,続群書類従完成会『公卿諸家系図』
- ^ 1983年『弁官補任』
- ^ 高倉永重の子とする説もある。