地球市民地球市民(ちきゅうしみん)とは、人種、国籍、思想、歴史、文化、宗教などの「違いをのりこえ、誰もがその背景によらず、人として尊重される社会の実現」を目指し、活動しようとする人々が自らを指し、コスモポリタニズムに賛同する人々を表すコスモポリタンの日本語訳の世界市民と同じ意味として好んで使われる造語である。 地球市民は市民としての帰属を国家ではなくより広い概念に求めている。 起源シノペのディオゲネスは、既存の国家(ポリス)を超越した世界政府を構想した。その世界政府の国民がコスモポリタンである。この思想はストア派を介して近代にも受け継がれた。イマヌエル・カントは歴史の終極としての世界政府の理念を論じ、その現実的な不可能性を認めはするものの、現実に有効な法としての世界市民法の可能性を論じた。彼の世界市民法の具体的な内容は、世界市民として現状の各国の市民(国民の意)は相互に訪問権を認められるべきであるといったものである。 現代では先進国の空想的社会主義に強い影響を受けているため、地球市民を成立させるために国境の解体、全ての平等の確立などが社会の目指すべき姿と考える。そのため地球市民を自称する者は空想的社会主義的傾向が強く、活動者は空想的社会主義活動家も多い。[要出典] 東京大学名誉教授の坂本義和や北海道大学教授の中村研一は、核兵器の開発は「人類」共滅の意識を生み、環境問題の深刻化は「地球」的な生態系への関心を強め、「地球は1つ」という意識は、南北ギャップへの関心も高めた。だが国家や企業は、核軍拡競争、経済成長競争という形でこうした地球的問題を引き起こしはしたが、地球的視点で問題解決に取り組む行動主体にはならない。そこで1970年代から、地球的視点で行動する主体として「地球市民」が登場したとしている[1]。 脚注関連項目
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