在日イラン人
在日イラン人 (ざいにちイランじん、ペルシア語 : ایرانیان مقیم ژاپن )は、日本 に一定期間在住するイラン 国籍の人のことである。ムスリム (イスラム教 徒 )が多数派を占める国出身の在日外国人の中では、在日トルコ人 に次いで第6位の人口である。
統計
日本の法務省の在留外国人統計によると、2023年12月末時点で在日イラン人は4,313人である[ 1] [ 2] 。
在留資格別(7位まで)
順位
在留資格
人数
1
永住者
2,617
2
日本人の配偶者
311
3
留学
293
4
家族滞在
254
5
定住者
227
6
技術・人文知識・国際業務
208
7
永住者の配偶者等
138
都道府県別(10位まで)
順位
都道府県
人数
1
東京
1,090
2
神奈川
593
3
埼玉
513
4
千葉
456
5
愛知
224
6
茨城
202
7
群馬
174
8
大阪
172
9
栃木
138
10
兵庫
104
歴史
在日イラン大使館
日本におけるイラン人数が急増するのは1988年 のイラン・イラク戦争 休戦後のことである。日本とイランは1974年 にビザ相互免除協定 を締結しており、日本への出入国に際してビザがいらなかった。日本の良好な経済状態についての話が広まり、ビザ相互免除協定を利用して日本へ渡航し、職を見つけ居住するイラン人が増加していった。イランと比較して高かった日本の賃金水準、そして比較的取り締まりの緩い出入国管理政策がイラン人を引きつけたのである[ 4] [ 5] 。最多期の1992年には不法滞在者 数が40,001人(5月1日時点)を数えていた[ 6] 。この時期、イラン航空 の東京便は週1便であり、最多期には日本への渡航を希望する者はかなり前からの予約が必要なほどであった[ 7] 。
しかし1992年 、経済状況の悪化や不法滞在者増加等を一因として、日本はイランとのビザ相互免除協定を終結。不法残留者の国外退去に向けて本格的に対処に乗り出した。ごく少数のイラン人が密入国斡旋業者 を利用して日本への入国をおこなったものの、国外退去者数と比較して少数であり、日本におけるイラン人数は以降劇的に減少した[ 8] 。
最多期における在日イラン人の概況
他のムスリム諸国からの労働者と同じく、ほとんどの在日イラン人は中年層である。20歳代以下が6%、50歳代以上が3%であるのに対し、30歳代および40歳代が76%である[ 9] 。圧倒的大多数が男性で、20代30代の大部分は単身者で、日本渡航以前に海外旅行の経験をもたない。また既婚者であっても一般的に渡航に家族を伴っていない。在日イラン人のほとんどは渡航以前にはイランの都市居住者で、テヘラン 南部地区や東アーザルバーイジャーン州 (東アゼルバイジャン州)からの者が多い。言語では前者はペルシア語 話者、トルコやアゼルバイジャンに隣接する後者はテュルク語 (アゼリー語 )話者が代表的。教育水準については、日本へのイラン人渡航者は他のムスリム集団、たとえばバングラデシュ人 と比較して低い。帰国した120人の元在日イラン人を対象とした調査では、大学ないし大学院教育経験者は2%以下で、73,1%が第三段階で教育終了であった。日本滞在中、平均月712ドルを送金している[ 10] 。雇用先は大部分が建設産業 であった。しかしバブル崩壊後、建設関連の雇用機会は減少し、駅周辺での無店舗小売りに転じた。携帯電話が普及する以前、日本人が作った違法テレホンカード を売却する犯罪者が増え、イラン人は不法入国者で非合法な活動による利益で生活していると認識されるようになった。[ 11] 。
コミュニティ空間
イラン人コミュニティの集う拠点として最初に利用されたのは公園 である。代表的なものに上野公園 と代々木公園 (原宿 )があった[ 12] 。公園では、在日イラン人が輸入イラン製品を小さな屋台で売り、新規渡航者に仕事を斡旋する日本人・イラン人ブローカーに接触することもできた。しかし周辺住民の不満と、公園における違法テレホンカード販売などに対するメディアの否定的報道は公園での警察の介入を招くことになった。また入国管理局も不法残留者の検挙・取り締まりを定期的に公園で実施するようになる。この結果イラン人自身が公園を避けるようになった。また彼らは定期的に公園に集まるイラン人と同定されることを嫌った。こうして在日イラン人コミュニティにおける公園の重要性は失われることになったのである[ 13] 。
ほかにコミュニティ空間としての利用がモスク である。イラン本国同様、在日イラン人の大部分はシーア派 ムスリムである。日本への渡航が始まった当初にはモスクを設立することが間に合わず、東京のイラン大使館 の礼拝所を用いていた。東京都 中央区 日本橋小伝馬町 にもモスクが設置されている。管理委員会はイラン人が多いが、他国籍人も参画している。モスクは非イスラーム的休日、特にノウルーズ などでもコミュニティの集う場所として用いられている[ 14] 。シーア派 の日本人聖職者が婚姻・離婚手続きを執り行う組織もある[ 15] 。
イランへの帰国
在留期間の経過(超過滞在)、在留期間更新の不許可及び不法滞在の摘発により、日本に残留していたイラン人の多くはイランへ帰国した。最盛期には4万人以上を数えた在日イラン人も、主に日本国民と結婚した者、および雇用主が在留資格の取得を支援したごく少数が日本に残り、ほとんどが合法的滞在者のみとなった。1992年 にはイラン人不法滞在者数は累積的出入国記録に基づく調査で推定32,994人、日本における不法滞在者で最大の割合を占めた。しかしその後の不法滞在者取り締まりの積極化により、2000年には5,821人と82%以上の減少をみせ[ 16] 、2013年に4,000人を切るなどイラン人コミュニティの規模は10分の1程度までに縮小した。彼らの滞日年数は平均4年、この間の本国送金は33,680ドルであった。大部分の場合、この資金によりイランで自宅を購入したり、あるいは事業を興している[ 17] 。海外での労働賃金は社会流動性にかなりの影響を与えている。120人の帰国者を対象とした調査では57%が事業資金として賃金を用いて自営業者となっているが、渡航前は農民あるいは非熟練労働者であった[ 18] 。
不法滞在イラン人数の推移
年次
人数
1990年
7002764000000000000♠ 764
1991年
7004109150000000000♠ 10,915
1992年
7004400010000000000♠ 40,001
1993年
7004284370000000000♠ 28,437
1994年
7004180090000000000♠ 18,009
1995年
7004146380000000000♠ 14,638
1996年
7004132410000000000♠ 13,241
1997年
7004113030000000000♠ 11,303
1998年
7003918600000000000♠ 9,186
1999年
7003730400000000000♠ 7,304
2000年
7003582400000000000♠ 5,824
2001年
7003433500000000000♠ 4,335
著名人
便宜的にイラン系日本人 も含む。
脚注
注釈
出典
^ a b [1]
^ a b [2]
^ 桜井 2003 , p. 19
^ 桜井 2003 , pp. 87–89
^ 外務省 1992 第3章「各地域の情勢と日本との関係」第6節「中近東」
^ 本邦における不法残留者数について(平成13年1月1日現在)
^ Morita 2003 , p. 160
^ Higuchi 2007 , pp. 2–3
^ 桜井 2003 , p. 43
^ Higuchi 2007 , pp. 6–7
^ Mousavi 1996
^ 公園を埋め、そして消えたイラン人 あの波は日本に何をもたらしたか :朝日新聞GLOBE+(2019.06.10)
^ Morita 2003 , pp. 161–162
^ 桜井 2003 , pp. 155–159
^ アフルルバイトセンター - ウェイバックマシン (2018年1月13日アーカイブ分)
^ 桜井 2003 , p. 41
^ Higuchi 2007 , pp. 7–8
^ Higuchi 2007 , pp. 9
参考文献
Higuchi, Naoto (2007), “Do Transnational Migrants Transplant Social Networks?: Remittances, Investments, and Social Mobility Among Bangladeshi and Iranian Returnees from Japan” , 8th Asia Pacific Migration Research Network Conference , UNESCO, http://apmrn.anu.edu.au/conferences/8thAPMRNconference/12.Higuchi.pdf
倉, 真一 (1996), “景気後退下における在日イラン人”, in 駒井, 日本のエスニック社会 , 明石書店, pp. 229-252, ISBN 4-7503-0790-4
Morita, Toyoko (2003), “Iranian immigrant workers in Japan and their networks”, in Goodman, Roger, Global Japan: The Experience of Japan's New Immigrant and Overseas Communities , Routledge, pp. 159-164, ISBN 0-4152-9741-9
Mousavi, Morteza (1996), “Iranians in Japan” , The Iranian , http://www.iranian.com/Sep96/Articles/Japan/Japan.html 2007年7月19日 閲覧。
西山, 毅 (1994), 東京のキャバブのけむり , 新泉社, ISBN 4-7705-9012-1
岡田, 恵美子 (1998), 隣りのイラン人 , 平凡社, ISBN 4-582-82424-2
桜井, 啓子 (2003), 日本のムスリム社会 , 筑摩書房, ISBN 4-480-06120-7
外務省 (1992), 外交青書 - 転換期の世界と日本 (大蔵省印刷局) (36), https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1992/h04-3-6.htm#k14
樋口, 直人他 (2007), 国境を越える-滞日ムスリム移民の社会学 , 青弓社
関連項目